仕事のフォーム – SANYO CHEMICAL MAGAZINE /magazine Fri, 11 Oct 2024 05:14:12 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.5 /magazine/wp/wp-content/uploads/2020/09/cropped-sanyo_fav-32x32.png 仕事のフォーム – SANYO CHEMICAL MAGAZINE /magazine 32 32 [vol.8]無努力主義 /magazine/archives/8505?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=vol-8%25e7%2584%25a1%25e5%258a%25aa%25e5%258a%259b%25e4%25b8%25bb%25e7%25be%25a9 /magazine/archives/8505#respond Fri, 11 Oct 2024 05:08:34 +0000 /magazine/?p=8505 楠木 建 PDFファイル 努力を継続するコツは「スキこそものの上手なれ」 以前お話しした絶対悲観主義と並ぶ僕の信条は無努力主義です。モットーは「全身で脱力」。 あくまでも僕の場合ですが、これまでの仕事生活で「努力しなきゃ…

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楠木 建

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努力を継続するコツは「スキこそものの上手なれ」

以前お話しした絶対悲観主義と並ぶ僕の信条は無努力主義です。モットーは「全身で脱力」。

あくまでも僕の場合ですが、これまでの仕事生活で「努力しなきゃ……」と思ったことのうち、仕事として(つまり、人が受け入れてくれる水準にまで)モノになったことは、ただの一つもございません。これだけは自信を持って言えます。

そもそも「努力しなきゃ……」と思うということは、必要とされているアウトプット水準と自分の現状との間に乖離かいりがあることを意味しています。つまり、このギャップを埋めるためにもう一段の「努力」が必要になる。

で、ここからがポイントなのですが、それが「努力」かどうかということは、当事者の主観的認識の問題です。僕に言わせれば、「努力しなきゃ……」と思った時点でもう終わっている。

もちろん、何かがうまくなるためには努力投入、しかも長期継続的なそれが必要なわけですが、本人がそれを「努力」と認識している限りは、投入の質量ともに高が知れているし、何よりも持続性に欠ける。

質量ともに一定水準以上の「努力」を継続できるとすれば、その条件はただ一つ、「本人がそれを努力だとは思っていない」、これしかないというのが僕の結論です。これを私的専門用語で無努力主義と言っています。

客観的に見れば努力投入を継続している、しかし当の本人は主観的にはそれを全く努力だとは思っていない。これが理想的な状態。無努力主義の本質は「努力の娯楽化」にあります。要するに、その対象が理屈抜きにスキだということ。

とにかく理屈抜きにスキ→やるのが楽しみ→朝起きたら2 分でやり始めるのも苦にならない→誰も頼んでいないのにガンガンやる→時間が経つのも忘れて集中してやる→繰り返しやる→持続性が極大化→そのうちにうまくなる→それでもスキなのでまだやる→多少の逆風が吹いても「でもやるんだよ!(スキだから)」→相当にうまくなる→割と人の役に立つようになる→ますますスキになる→(10個前に戻って5 回ループ)→さらにうまくなる→いよいよ人の役に立ってその人の「仕事」となる。以上の因果論理の連鎖をあっさりと短縮していえば、「スキこそモノの上手なれ」という古来の格言になります。

「イヤだけど努力する」から空回りの悪循環にハマり込む

僕の場合、この無努力主義の特殊原則を確立するまでは、全く中途半端な「努力」をして、結果的に大した成果を出せず、仕事どころかかえって世間の皆さんのご迷惑になることが多々ありました。そうすると、ますます「(イヤだけど)努力しなきゃ」となる。

揚げ句の果てに、「努力しなきゃ」→「でもイヤだな…」→「よーし、明日から努力することにしよう」→(で、翌日)「やっぱりイヤだな…。よーし、明日こそ努力することにしよう」→(で、翌日)「毎日、明日からは…に無理があるんだな。ここはリアリスティックに来週から努力することにしよう。手帳に書いておきましょう」→(4個戻って12回ループ)→気が付くと楽勝で半年ぐらいが経過、という空回りの悪循環の明け暮れにハマり込むこととなります。

天才は別です。天才は才能の赴くままにスキなことをスキなようにしていればよいだけの話で、無努力主義も原理原則もへったくれもございません。そんなことをいちいち考えなくても、すべてを自然に、矛盾を矛盾のまま、矛盾なく乗り越えられるのが天才です。

ただ、僕は幸か不幸かフツーの人だったので(たぶん幸)、「努力しなきゃ、と思った時点で終わっている。次いってみよう」の無努力主義を意識的に標榜することによって、何とか社会との折り合いがつく仕事をできるようになったという次第です。

「理屈抜きにスキ」の想いが仕事の原点

どうせ、一人の人間ができることなんて、高が知れているわけです(天才はこれを除く)。幸いにして、世の中いろいろな人がいるわけですから(いわゆる一つの「ダイバーシティ」)、自分がキライで不得意で不得手なことは、自分でやるよりも誰かスキで得意な人にやってもらったほうがよい。社会的分業。相互補完。今も昔も人の世の基本のキ。

ただ、「1%の才能と99%の努力」というのは真実でして、要するに、微弱ではあっても、1%の才能がなければ、99%の努力を突っ込んでも何も起こりません。ゼロに何をかけてもゼロ。その「微弱な才能」とは何か。それが「理屈抜きにスキ」ということだというのが、仕事の特殊原則の起点にして重点にして核心であります。

これからも絶対に努力はしないという方向で、最大限の努力をしていく所存です。

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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[vol.7] プロセス不在の生成AI /magazine/archives/8086?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=vol-7-%25e3%2583%2597%25e3%2583%25ad%25e3%2582%25bb%25e3%2582%25b9%25e4%25b8%258d%25e5%259c%25a8%25e3%2581%25ae%25e7%2594%259f%25e6%2588%2590%25ef%25bd%2581%25ef%25bd%2589 /magazine/archives/8086#respond Thu, 11 Jul 2024 06:23:03 +0000 /magazine/?p=8086 楠木 建 PDFファイル AIの本質は、自動化と外部化 対話を通じた文章や画像の自動生成が人工知能(AI)の主戦場になってきました。既に名門大学の入試で合格するレベルの答えを導ける水準になっているそうです。 AIの本質は…

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AIの本質は、自動化と外部化

対話を通じた文章や画像の自動生成が人工知能(AI)の主戦場になってきました。既に名門大学の入試で合格するレベルの答えを導ける水準になっているそうです。

AIの本質は自動化にして省力化です。すなわち「そのことを自分ではやらない」。プロセスをすっ飛ばして、結果だけを手に入れる。つまり、これまで人間が自力でやってきたことを外部化しているわけです。

AIに限らず、昔から技術の本質は外部化にあります。蒸気機関という技術は産業革命をもたらしました。蒸気機関を使えば、これまで重たくて人間が持ち上げられなかったものをやすやすと持ち上げてくれる。蒸気機関車を使えば、人間や馬よりもはるかに速いスピードで移動できます。歩く・走るという人間がやってきた仕事が技術に外部化される。その結果、人間にできないことができるようになる。技術進歩というのはそういうものです。

 

AIが人間を凌駕することは、問題ではない

外部化された結果、それまで技術なしに人間がやってきたことよりもパフォーマンスが向上する――ここに技術進歩の本来の動機と目的があります。AIは人間を凌駕りょうがするか、という議論が盛んになっていますが、技術進歩の本質からして、そうなるのは自明です。

今に始まった話ではありません。新幹線は人間が走るのよりも速い。飛行機は空を飛べるが、人間は飛べない。Google検索は人間ができない(やろうと思うと異様に時間がかかる)ことを0.1 秒でやってくれる。だからといって、新幹線や飛行機やGoogle検索を敵視する人はいません。便利な手段として使っているだけです。

AIにしても、この基本的な図式は変わりません。事務的な文書作成や顧客対応のチャットといった領域では、AIはこれ以上ないほど便利です。入試問題を解くのも得意中の得意。回答文には正解(にどれだけ近いか)という一元的な良ししの基準があります。こういう仕事ではAIとは勝負になりません。しかし、だからといって人間に完全に代替するわけでも、人間社会の敵になるわけでもない。道具は使うものであって、競合するものではありません。

 

AIに任せる基準は、楽しいかどうか

技術の外部化は人間を楽にしてくれます。しかし、です。外部化が価値を持つのはその活動なり仕事が利用者にとって楽しくない(やりたくない・できない)ことが前提になります。僕は税金を払うための申告作業を税理士の先生に任せています。きちんとやる知識や能力がないだけでなく、僕にとってはまるで楽しくない。だから自分でやらずに、税理士の先生に任せて外部化する。将来この作業をAIがやってくれるのであれば、お任せするのにやぶさかではありません。

その人に合った服装を提案してくれるファッション・コーディネーターという仕事があります。こういう人を雇うのは、おそらくファッションに興味がない人だけでしょう。なぜならば、ファッションに興味がある人は、何が自分に似合うのか、自分のスキな服を探索すること自体を喜びとしているからです。この楽しいプロセスを外部化してしまうのは当人にとってタダの損失。カネを払ってでも勘弁してもらいたいはず。

僕は考え事を言語化し、文章に書くという仕事をしています。生成AIに核となるアイデアだけを入力し、何ステップかの対話をすれば、即座に文章にしてくれます。それでも僕は書く仕事を生成AIに外部化したくありません。書くプロセスこそが僕の喜びだからです。ゲラの修正は文章をゼロから生成するよりもずっとAIが得意とする作業です。しかし、僕にとってはこれほど面白い仕事もない。ああでもないこうでもないと自分の文章を推敲すいこうし、赤ペンで書き込む――三度の飯よりこれがスキ。この至福のプロセスをAIに任せてしまえば、何のために文章を書いているのかわからなくなります。

文章を書く仕事で、僕はAIに負ける気がしません。なぜならば、優れた文章は思考と言語化のプロセスそれ自体を無上の喜びとする人から出てくるはずだからです。ある会社がAIに僕の文体を機械学習させて文章を自動生成してくれました。言葉遣いを思いっきり僕のスタイルに寄せているのですが、面白くも何ともありませんでした。議論の展開がユルユルで、肝心なところでスベりまくりやがっています。「ええかげんにせいよ!」とツッコミを入れたくなりました。

技術は日進月歩ですから、AIはそのうちもっとまともな文章を生成できるようになるでしょう。僕にとっては「しめしめ……」です。技術が進歩するほど、人はAIに依存するようになる。書くプロセスの喜びを知らない人が増えてくる。もっといえば、書く手前の考えるプロセスまで外部化するようになる。世の人々の考えて書く能力が劣化していくのは間違いない。ということは、僕にしてみればますます商売繁盛――生成AIさまさまです。

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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[vol.6] 人気と信用 /magazine/archives/7842?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=vol-6-%25e4%25ba%25ba%25e6%25b0%2597%25e3%2581%25a8%25e4%25bf%25a1%25e7%2594%25a8 /magazine/archives/7842#respond Thu, 11 Apr 2024 06:02:05 +0000 /magazine/?p=7842 楠木 建 PDFファイル 人気は一時的なもの 最後に残るのが信用 仕事にとって一番大切なものは何か。僕の答えは「信用」です。昔から「信用第一」といいますが、本当にその通り。信用第一は不変にして普遍の原理原則です。 信用と…

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人気は一時的なもの 最後に残るのが信用

仕事にとって一番大切なものは何か。僕の答えは「信用」です。昔から「信用第一」といいますが、本当にその通り。信用第一は不変にして普遍の原理原則です。

信用とは何でしょうか。それが何かを考える時、僕はまず対概念――それではないもの――を考えてみるようにしています。対概念がない概念はありません。信用の対概念は何か。それは「人気」です。このことは僕が私淑している昭和の大女優で名文筆家、高峰秀子さんの本で学んだことです。

高峰さんは信用と人気をはっきり区別しています。需要がないと仕事にはならない。ただし、その需要は決して人気であってはいけない。女優は文字通り人気商売です。凡百の女優は人気を求める。人気があるうちは、周りが何でも言うことを聞いてくれる。全能感にとらわれ、何でも思い通りになるような気になる。しかし、人気はあくまでも一時的なもの。最後に残るのは信用しかありません。「この人だったら期待に応えてくれる」「この人が出ている映画だから大丈夫だ」――これが信用です。映画出演でも本の執筆でも、高峰さんは仕事生活の根底に信用を置いていました。

 

長い時間をかけて少しずつ信用を積み重ねる

人気と信用の違いは、時間軸で考えてみるとはっきりします。「人気取り」というように、人気はいま・ここで取りにいくものです。時間的な奥行きがありません。一方の信用は、目先にあるものを取るように獲得するわけにはいきません。長い時間をかけて少しずつ積み重ねていくものです。振り返った時に気付いてみたらそこにある、というのが信用です。一夜にして成功を収めるには20年かかるものです。

考えてみると、マスプロモーションを一切しないというのが商売の究極の姿なのかもしれません。今時の大きなローファームは立派な事務所を構え、ブランディングに余念がありません。個人向けの弁護士事務所も、電車のサイネージに広告を出したり、テレビでCM を流したり、熱心にプロモーションをしています。ところが、僕が尊敬しているある弁護士の事務所にはホームページがありません。彼は「弁護士がマーケティングを始めたら、その時点で終わり」と言っています。本当に仕事を依頼したいのであれば、住所や電話番号を自分で調べて、向こうからやってくるはずだ――言われてみればその通りです。信用さえあればお客様のほうから来る。そして、仕事を引き受けた以上は決して期待を裏切らない。

 

信用を獲得するには、まず相手に得をさせること

そもそも人気と信用はベクトルの向きが異なります。人気は自分を向いています。人気があればちやほやされる。ちやほやされれば自分がイイ気分になれる。利を得るのは自分です。これに対して信用は自分以外の他者を向いています。信用は自分の外にいるお客様の中に形成されるものです。まずは相手に利得を与えなければならない。相手にたっぷり得をさせた後で自分が得をする。これが仕事の正しい順番です。

信用第一を原理原則とする仕事には、人間を錬成し成熟させる作用があります。信用を獲得するには行動に規律がなければなりません。約束を守る、相手の立場に立って考える――自然と人間が出来上がっていきます。

人間は社会的動物です。ほとんどの人は、多少なりとも社会と折り合いがつかないと生きていけません。まともな人でないと相手にされない。社会的状況に置かれると、人間は相対的にまともになります。まともに振る舞うことを社会が強制すると言ってもいい。

逆に言えば、社会との関わりが限定されている子どもはだいたいワルです。自己中心的で自己利益ばかり考えている。人をだましてでも目先の利益を追求する。しかし、社会に出ればその調子ではやっていけない。やがて現実を思い知らされる。こうして人は大人になります。

仕事には自然と人間を教育する面があります。これが世の中の、まあまあうまくできているところです。

 

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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[vol.5] 幸福の条件 /magazine/archives/7553?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=vol-5-%25e5%25b9%25b8%25e7%25a6%258f%25e3%2581%25ae%25e6%259d%25a1%25e4%25bb%25b6 /magazine/archives/7553#respond Fri, 19 Jan 2024 01:51:06 +0000 /magazine/?p=7553 楠木 建 PDFファイル   嫉妬という不幸の源泉は無意味な他者との比較 人間にとって幸福とは何か――。こうした抽象度が高いテーマについては、僕は対概念とセットで考えるようにしています。すなわち、人間にとって最…

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嫉妬という不幸の源泉は無意味な他者との比較

人間にとって幸福とは何か――。こうした抽象度が高いテーマについては、僕は対概念とセットで考えるようにしています。すなわち、人間にとって最大の不幸とは何か。僕の答えは他人との比較――より特定していえば嫉妬――です。これこそが幸福の敵であり、人間にとって最大級の不幸の一つだと僕は思っています。

嫉妬という不幸にして醜い感情の源泉は、比較可能性にあります。面白いことに、自分と比較できないところにいる対象に嫉妬する人はあまりいません。「同じ日本に生まれた同い年なのに、こいつは若くして起業に成功して大金持ちになっている、チキショー……」と言う人でも、ドバイのハムダン王子には嫉妬しません。空間的に遠いし、王家に生まれたわけではない自分とはそもそも比較しようがないからです。

大化の改新を主導した中大兄皇子に「うまくやりやがって……」と嫉妬する人はまれです。時間的に遠すぎて、現代とはまるで状況が違うので比較可能性は低い。これがアレクサンドロス大王となると、ごく一部のマニアを別にして、嫉妬する人はまずいません。時間と空間が両方とも遠すぎる。比較可能性がゼロなので、嫉妬の対象にはならないのです。

「何で大谷翔平はあんなに成功しているんだ、チキショー……」とは思わない。大谷選手が野球能力の点で比較できる次元にはいない人だからです。この裏返しで、自分について根拠のない有能感を持っているほど、無意味な他者との比較に陥りがちです。「俺はできるのに……」という思い込みから、他人と自分を比べて嫉妬に駆られる。

嫉妬をする人というのは、相手の成功しているところ、恵まれているところしか見ていない。本当はアレクサンドロス大王も織田信長もハムダン王子も、孫正義さんも、人知れずつらい思いをしているはずです。ダンデミスという人が次のように言っています。「他人の幸福をうらやんではいけない。なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから」――嫉妬する人にはそれが見えない。本来それぞれの人の中にしかない幸せを、人と比較するのは間違いなく不幸なことです。

 

人がうらやむものを持つのが幸せ?

不幸になるもう一つのパターンは他律性です。すなわち「人から幸せだと思われていることが幸せ」だと思い込むこと。ラ・ロシュフコーの『箴言集』の中に「幸福になるのは、自分の好きなものを持っているからであり、他人が良いと思うものを持っているからではない」という名言があります。幸不幸を決めるのは自分自身の価値基準でしかありません。価値観は人によって異なります。本来は「良いじゃないの、幸せならば」で話はおしまいです。ところが、世の中の最大公約数的な価値基準に乗っかってしまうと、いつまで経っても自分の価値基準がどこにあるのかわからなくなります。これは根本的な幸福の破壊です。

ずいぶん昔、平成初期の話ですが、ある有名進学予備校で講演する機会がありました。予備校の生徒だけではなく、教育熱心なお母さまやお父さまも見えていました。当時は今よりも大学受験というものが白熱していたからかもしれませんが、皆さんすごく真剣です。子どもを良い学校に行かせたいという情熱がたぎっている。

「もしお子さまをどこの学校にでも入れてあげると言われたら、どこを選びますか」と質問をしますと、「東大です」と言う人が圧倒的に多い。「なんで東大なのですか」と聞くと、「やっぱり一番入るのが難しくて、良い学校だから」「東大に行くと、より良い職業に就ける可能性が高いから」という答えが返ってきます。「では、より良い職業って何でしょう」と聞くと、「例えば大蔵省(現在の財務省)とか……」。なぜならそれが一番のエリートが就く仕事だからです。その中でも、できたら主計局。それが一番偉いということになっているから――。

これは「他人が良いと思うものを持っている」ことが幸せになってしまうという成り行きの典型です。本当は幸せになることが目的のはずなのに、そのはるか手前にある手段が目的化してしまう。今は東大がスタンフォードに、大蔵省がグーグルに変わっているだけで、いつの時代もこういう他律的な人はいます。

 

幸福は自分の頭と心が決める

幸福ほど主観的なものはありません。幸福は、外在的な環境や状況以上に、その人の頭と心が左右するものです。あっさり言えば、ほとんどのことが「気のせい」だということです。自らの頭と心で自分の価値基準を内省し、それを自分の言葉で獲得できたら、その時点で自動的に幸福です。「これが幸福だ」と自分で言語化できている状態、これこそが幸福にほかなりません。

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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[vol.4] 「黒い巨塔」作戦 /magazine/archives/7424?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=vol-4-%25e3%2580%258c%25e9%25bb%2592%25e3%2581%2584%25e5%25b7%25a8%25e5%25a1%2594%25e3%2580%258d%25e4%25bd%259c%25e6%2588%25a6 /magazine/archives/7424#respond Tue, 14 Nov 2023 07:21:30 +0000 /magazine/?p=7424 楠木 建 PDFファイル   自分にとっての幸せは何? 世の中、幸せになりたくない人というのはまずいません。幸福の希求、その1点では人間は共通しています。ただし、幸せの内実は主観の極みです。ある人にとっての至福…

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楠木 建

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自分にとっての幸せは何?

世の中、幸せになりたくない人というのはまずいません。幸福の希求、その1点では人間は共通しています。ただし、幸せの内実は主観の極みです。ある人にとっての至福が、別の人にはとんでもない不幸になる。みんな同じで、みんな違う――幸せの面白いところです。

大学医学部の権力闘争を描いた山崎豊子『白い巨塔』。何度も映画やドラマになっているのでご存じの方も多いと思います。大学教授の地位と権力を求めた権謀術数の物語。前提は 「幸せ=出世」 です。主役の財前五郎は大学での立身出世を求めて闘争に明け暮れます。それを阻止しようとする人々、自分の利得のために便乗しようとする人々が入り乱れて、仁義なき戦いになります。

僕が直面している問題はむしろ逆でありまして、いかに偉くならずヒラ教授にとどまるかという闘争です。これを私的専門用語で「黒い巨塔」と言っています。財前教授のように白い巨塔の頂点に君臨するのが幸せだという人もいれば、僕のように黒い巨塔の底辺にいるのが幸せだという人もいる。これこそダイバーシティー。

 

脳内参謀本部会議でやりたい仕事について考える

僕は学部長や研究科長はもちろん、あらゆる管理職に就きたくありません。僕にとってあからさまな不幸だからです。そういう仕事をしたくないから、現在の仕事を選んだわけです。経営管理職になれば何のために大学教師になったのかわからなくなってしまいます。そもそも向いていません。リーダーシップがないことにかけて、僕には絶対の自信があります。

ただし、です。大学も組織。年を重ねるにつれてそういう役回りを期待されるようになってきました。回避するには何かの対策が必要になります。早速、脳内参謀本部で会議を招集。活発かつ率直な議論が行われました(出席した参謀は全員僕)。参謀本部の結論は、この際大学を辞職するべきというものでした。ヒラ社員の立場で自分のスキなことをやっていたい――これは客観的にはタダの無責任です。定年退官までわがままを通すのにも無理がある。いっそのこと大学を辞めてしまえば、運営や管理の仕事から全面的に解放されます。

ただし、問題が一つあります。それは講義をする場を失ってしまうということ。自分の考えを人様に提供して何かの足しにしてもらうという僕の仕事にとって、大学での講義は考え事提供の重要なチャネルです。

さて、どうしたものかと思っていたところ、ある参謀(もちろん僕)が名案を持ってきました。大学には寄付講座という仕組みがあります。企業から寄付金を頂戴ちょうだいして、僕が教えている「競争戦略」を寄付講座として設置する。僕はいったん一橋大学を退職して、寄付講座の「特任教授」というポスト(契約社員のようなもの)に移る――芸者が旦那に置屋から水揚げしてもらうようなものです。

そうすれば大学に寄付金が入ってくるだけでなく、教授のポストも空いて、新しい優秀な人を採用できる。僕は管理職の仕事から解放され、デカい面をしてヒラの一兵卒として前線業務(寄付講座を引き受けるだけで、後は自由に自分がやりたい研究をする)を続けられる――三方良しの名案です。

 

スキな仕事にフォーカスし自分なりの競争戦略を

早速「黒い巨塔作戦本部」が(僕の脳内に)設置されました。で、作戦本部が総力を挙げて3日ほど飛び込み営業を展開したところ、寄付講座を設置してくださるという実に気前のイイ会社を発見。めでたく32年勤めた大学を2023年の3月に退職し、4月から寄付講座の特任教授に就いています。

これからは教授会、委員会、会議、外交、人事、評価、教務管理、あらゆる管理業務をやらなくてイイ。だからといって、何か新しいことに挑戦しようというつもりは毛頭ございません(余の辞書に挑戦の文字はない)。単純にやる仕事の種目を減らすだけ。フォーカスこそ戦略の基本。自分のスキな仕事に集中します。給料はフルタイムの教授職の半分に減りますが、それはこの際どうでもイイ。

競馬に例えれば、第4コーナーを既に回って仕事生活も最後の直線。うっすらとゴールが見えてきました。残りの直線を迷わず走り、僕なりの競争戦略論を完成させたいと思います。

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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[vol.3] 仕事を追う /magazine/archives/7283?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=vol-3-%25e4%25bb%2595%25e4%25ba%258b%25e3%2582%2592%25e8%25bf%25bd%25e3%2581%2586 /magazine/archives/7283#respond Thu, 14 Sep 2023 01:09:02 +0000 /magazine/?p=7283 ◆楠木 建 PDFファイル   「仕事を追え、仕事に追われるな」 僕は経営学者ですが、企業のお手伝いをすることもあります。場合によっては長い期間にわたって手伝わせてもらうこともあります。その一つがファーストリテ…

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◆楠木 建

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「仕事を追え、仕事に追われるな」

僕は経営学者ですが、企業のお手伝いをすることもあります。場合によっては長い期間にわたって手伝わせてもらうこともあります。その一つがファーストリテイリングで、仕事を始めて15年になります。

創業経営者の柳井正さんの考えを言語化し、原理原則に落とし込む。それが最初に依頼された仕事でした。自分で経営をやっているわけではないのですが「門前の小僧習わぬ経を読む」でありまして、柳井さんの話を横で繰り返し聞いているうちに、商売の原理原則を知りました。

社内の議論の場で叱られたこともあります。「経営は実行しなければ意味がない。あなたが言っていることは大学教授の評論だ!」
――実際にそうなのだから返す言葉がありません。仕方がないので「僕は評論を実行しています」と答えました。

具体的な仕事の方法論についても学んだことがあります。その一つが「仕事を追え、仕事に追われるな」です。つまりは時間軸での仕事姿勢でありまして、仕事に追われるようになるとパフォーマンスは確実に低下します。こちらから攻撃的に仕事を追うという姿勢を心がけています。

 

好きな仕事なら、自然と「仕事を追う」姿勢に

原稿を書く仕事にしても、締め切りが近付いて慌ててやるとロクなことになりません。締め切りまでに間があるうちに書いてしまい、しばらく寝かせてから推敲作業をかけるようにしています。

仕事を追う状態をキープするためには、つまるところ仕事の総量の管理が大切です。僕は一人で仕事をしているので、目の前の仕事量が自分のキャパシティーを超えないようにすることがとりわけ重要です。一定のラインを超えるような仕事は引き受けないようにしています。断るのも能力のうち、と心得ています。

どうしてもこちらから仕事を追う気にならず、仕事から追われてしまうこともあります。こうしたことが繰り返し起こる時は、その仕事が自分に向いていないと考えたほうがいい。人間誰しも得手不得手、好き嫌いはあります。そもそも嫌いで不得手な仕事を不承不承やっていても成果は出ません。その仕事が好きで得意なほかの人に代わってもらったほうが理にかなっています。逆に、好きな仕事であれば自然と仕事を追うようになります。無意識のうちに追い越してしまうこともある。仕事を追う姿勢は、自分の適性や能力のありかを知るうえでも役に立ちます。

 

脳内シミュレーションで翌週の流れを組み立てる

こちらから仕事を追いかけるようにするためには、後始末ならぬ「前始末」をつけておくことが大切です。これもまた柳井さんから学んだことです。

先日、ファーストリテイリングの仕事である役員の方と話をしている時に、面白い話を聞きました。その方は毎週日曜日に20分ほどかけて、次の月曜日からの1週間の仕事の脳内シミュレーションをしているそうです。どの日にどのような仕事がどういう順番であり、そのために自分が何をしておくべきか、1週間の流れをイメージしておくといいます。TO DOリストを作っておくというのではありません。あくまでも1週間の「流れ」で考えるというのがポイントです。「現実に月曜日からやることは僕にとって2回目の仕事です」とおっしゃっていました。これぞ前始末。

そこまでではありませんが、僕も似たようなことをやっています。その週の仕事が終わると、週末に次の1週間のスケジュールをゆっくり見て、流れのイメージを組み立てます。

この歳になると、とりわけ重要なのが仕事体力の配分です。1週間の中で負荷がかかるヤマ場がどこにあるのかを見極めて、そこに合わせてしっかり休養を取り、体調管理をするようにしています。とことん疲れる仕事があった時は、帰宅してすぐ「集中治療室」(何もやらずにひたすら横になって休む)に入るようにしています。

これを1週間単位でやる。1週間単位で仕事の量と負荷がなるべく一定の水準に収まるようにしています。ハードな日の次は少し緩くしておく。週の中で1日はテンションがかからない仕事(相手がいない仕事)だけの日をつくっておくのが理想です。無理なら、半日だけでもリラックスして仕事ができる日をつくる。

このイメージトレーニングは1週間単位でやるのがちょうどいい。向こう2週間や1カ月となると、仕事と仕事の間にある流れを具体的にイメージできなくなります。目の前の1週間に集中して、次の週のことは考えないようにしています。

これはあくまでも僕のやり方です。皆さんもそれぞれに自分の「仕事を追う」フォームを考えてみることをおすすめします。

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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◆楠木 建

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実体は明るい絶対悲観主義

前回お話ししたように、僕の仕事哲学は絶対悲観主義です。「自分の思い通りにうまくいくことなんて、この世の中には一つもない」という前提で仕事をする。随分暗い話に聞こえるかもしれません。しかし、その実体は明るくスカッとしています。

絶対悲観主義にはいくつもの利点があります。第一に、実行が極めてシンプルで簡単だということ。やるべきことは、事前の期待のツマミを思い切り悲観方向に回しておくだけ。結果や成果ではなく事前の構えですから、自分の好きなように好きなだけ操作できます。ここぞという時はツマミを可動領域いっぱいまで思い切り悲観に振っておく。

第二に、万が一うまくいった時に、ものすごくうれしい。大体はうまくいかないのですが、それでもたまにうまくいくことがあります。うまくいかないだろうと事前に悲観的に構えておくと、うまくいった時に大変気分がイイ。ヘタな楽観主義よりもずっと幸福度が高い。ここに絶対悲観主義者の喜びのツボがあります。

 

若い人にこそおすすめ プライドは後回し

第三の利点は、悲観から楽観が生まれるという逆説にあります。絶対悲観主義者はリスク耐性が高い。リスクに対してオープンに構えることができます。

起業家志向の若者にアドバイスを求められることがあります。自分で起業したいのだけれど、やはりリスクが気になる。どうしたものか――この手の質問を受けた時、僕は「何の心配もありません。絶対にうまくいかないから」と言うことにしています。必ずといっていいほどイヤな顔をされますが、現実はそういうものです。

能力に自信がある人ほどプライドが高い。そういう人は失敗した時に大いにへこみます。プライドは仕事の邪魔でしかありません。傷付くのが嫌で怖いから身動きが取れなくなる。動く時にも何とか失敗を避けようとするので、ヘンにみつな計画を立てる。もちろん計画通りにいくわけはないので、ますます疲弊するという悪循環に陥ります。

もちろん仕事には誇りを持たなければいけませんし、その意味でのプライドは大切です。ただし、プライドを持つのはなるべく後回しにしたほうがイイ。ある程度の成果を出して実績を積んでからでも、遅くはありません。若者の最大の特権は時間があることでも、未来の可能性があることでも、体力があることでも、頭が柔軟なことでもありません。「まだ何者でもない」ということです。若い時ほど失敗で被るサンクコスト(埋没費用)は小さい。どうせうまくいかないのだから……という絶対悲観主義は究極の楽観主義でもあります。若い人にこそ絶対悲観主義をおすすめします。

第四に、絶対悲観主義者はリスク耐性だけでなく、失敗が現実のものになった時の耐性も強くなります。ちょっとやそっとのことではダメージを受けません。絶対悲観主義者にとって、失敗は常に想定内。うまくいかなくても、淡々と続けていくことができます。

 

地に足の着いた自信を手に入れよう

第五に、絶対悲観主義の最も重要な利点として、すぐにではなくても、10 年ほどやっているうちに自分が持つ固有の能力なり才能の在処がはっきりとしてきます。絶対悲観主義の構えで仕事をしていても、事前の期待が良い方向に裏切られ、時々うまくいくことがある。先述したように、この時にやたらとうれしくなるのが絶対悲観主義のイイところなのですが、そうした望外の喜びがたまに連続して起こることがあります。そこに自分の固有の才能が見え隠れしています。

絶対悲観主義者は「○○が上手ですね」、「××が得意ですね」と人に言われても真に受けません。謙虚なのではありません。自分の能力を軽々しく信用していないのです。それでも、そういう評価を複数の人から繰り返しもらい続けると、悲観の壁を突き破って、ようやく楽観が入ってくる。これは思い込みではなく、本物の楽観です。

絶対悲観主義と矛盾するようですが、仕事において自信は好循環を生み出すとても大切なものです。ただし自ら「あれができます」、「これができます」と言っているうちはまだまだです。悲観を裏切る成功が続いて、ようやく自信が持てるようになります。これは独りよがりの思い込みではなく、地に足の着いた自信です。

繰り返しますが、やるべきことは事前の期待を思い切り悲観の方向に振っておくだけ。コストゼロ。所要時間1秒。電波も電源も要りません。ぜひお試しください。

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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◆楠木 建

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お客様は、コントロールできないもの

そもそも「仕事」とは何でしょうか。趣味でないものが仕事、仕事でないものが趣味、というのが僕の整理です。趣味は徹頭徹尾、自分のためにやることです。自分が楽しければそれでいい。一方の仕事は、誰かのためにすることです。自分以外の他者に何らかの価値を提供できなければ仕事とはいえません。

従って、あらゆる仕事には「お客様」が存在します。お客様はコントロールできません。大会社の社長でもお客様に自社の製品やサービスを無理やり買わせることはできません。ここで言う「お客様」は、実際に対価を支払ってくれる取引先やクライアントやユーザーや消費者だけではありません。同じ会社の上司や部下であっても、自分の仕事を必要としてくれる人はお客様です。仕事は定義からしてこちらの思い通りにならないものです。事後的な成果や成功は、コントロールできない。しかし事前の構えは自分で自由に選択できます。仕事が何らかの哲学を必要とするゆえんです。

 

「フツーの人」向けの実用的な仕事の哲学

試練に直面しても諦めずに挑戦を続け、高い目標に向けて全力を尽くす――一流のアスリートが活躍する姿は見る人に感動を与えます。ところが、自分にそういうことができるとは到底思えません。骨の髄から「スゴイ人」はまれです。世の中の大半は僕と同じ「フツーの人」です。

フツーの人向きの実用的な仕事の哲学はないものか。考えを巡らしているうちに、たどり着いたのが「絶対悲観主義」です。この着想は僕にとって革命的でした。そもそも「うまくやろう」とするのが間違いなのではないか。それぞれに利害を抱えて生きている世の中、自分の思い通りになるほうがヘンで、僕のような大甘の凡人にとってはうまくいくことなんてほとんどないのが当たり前――脳内革命が勃発しました。これで一気に仕事生活がラクになりました。以来、現在に至るまで、僕は一貫して絶対悲観主義で仕事に臨んでいます。「自分の思い通りにうまくいくことなんて、この世の中には一つもない」という前提で仕事をする――厳しいようで緩い。緩いようで厳しい。でも、根本においてはわりと緩い哲学です。

緊張と弛緩は背中合わせの関係にあります。「夢に向かって全力疾走!」「夢を諦めるな!」――緊張系の話が幅を利かしているこの頃ではありますが、長く続く仕事生活、緊張だけでは持ちません。弛緩もまた大切です。弛緩があるから、ここぞという時に集中できる。筋トレとストレッチのような関係です。

 

自由に気楽に仕事に取り組む絶対悲観主義

GRIT(困難に直面してもやり抜く力)とかレジリエンス(逆境から回復する力)が注目されています。これもまた緊張系の話です。この種の言葉がもてはやされているのは、困難や逆境に直面した時にやり抜くことができず、心が折れてしまう人が今の世の中にそれだけ多いことを暗示しています。

僕に言わせれば、GRITやレジリエンスはある種の呪縛です。「うまくやろう」「成功しなければならない」という思い込みがある。だから、ちょっと思い通りにならないだけで「困難」に直面し「逆境」にある気分になる。克服するためには「やり抜く力」や「挫折からの回復力」を獲得しなければならない――随分窮屈な話だと思います。

世にいう悲観主義は、実のところ根拠のない楽観主義です。最初のところで「うまくいく」という前提を持つからこそ、「うまくいかないのではないか」と心配や不安にとらわれ、悲観に陥るという成り行きです。

こと仕事に関して言えば、そもそも自分の思い通りになることなんてほとんどありません。この元も子もない真実を直視さえしておけば、戦争や病気のような余程のことがない限り、困難も逆境もありません。逆境がなければ挫折もない。成功の呪縛から自由になれば、目の前の仕事に気楽に取り組み、淡々とやり続けることができます。GRIT無用、レジリエンス不要――これが絶対悲観主義の構えです。

 

「絶対悲観主義」のポイント

  • 「フツーの人」でも実践可能
  • 「うまくやろう」と思わない
  • 「成功しなければならない」という思い込みを外す
  • 「自分の思い通りにいくことなんて、一つもない」と考える
  • 「うまくいかないのではないか」と心配する必要はない

 

楠木 建〈くすのき けん〉

経営学者。1964年、東京都出身。1989年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学イノベーション研究センター助教授、一橋ビジネススクール教授などを経て、2023年から一橋ビジネススクール特任教授。専門は競争戦略。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『絶対悲観主義』などがある。

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