生命を巡る旅 – SANYO CHEMICAL MAGAZINE /magazine Thu, 31 Aug 2023 06:29:18 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.5 /magazine/wp/wp-content/uploads/2020/09/cropped-sanyo_fav-32x32.png 生命を巡る旅 – SANYO CHEMICAL MAGAZINE /magazine 32 32 [最終回] 日本最大の猛禽類「オオワシとオジロワシ」 /magazine/archives/489?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e6%2597%25a5%25e6%259c%25ac%25e6%259c%2580%25e5%25a4%25a7%25e3%2581%25ae%25e7%258c%259b%25e7%25a6%25bd%25e9%25a1%259e%25e3%2580%258c%25e3%2582%25aa%25e3%2582%25aa%25e3%2583%25af%25e3%2582%25b7%25e3%2581%25a8%25e3%2582%25aa%25e3%2582%25b8%25e3%2583%25ad%25e3%2583%25af%25e3%2582%25b7%25e3%2580%258d /magazine/archives/489#respond Sat, 07 Apr 2018 07:41:53 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=489 流氷の時期の渡り鳥 北海道では冬の季節が近付くと、オオワシやオジロワシの姿をあちらこちらで見かけるようになる。特に海岸沿いや川沿い、湖畔といった水際にいることが多い。日本に棲み着いている個体も少しだけいるが、その多くは春…

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流氷の時期の渡り鳥

氷上を飛ぶオジロワシの若鳥(中央)と氷上にたたずむオオワシ(右)

北海道では冬の季節が近付くと、オオワシやオジロワシの姿をあちらこちらで見かけるようになる。特に海岸沿いや川沿い、湖畔といった水際にいることが多い。日本に棲み着いている個体も少しだけいるが、その多くは春から秋までを過ごしていたシベリアの、オホーツク海沿岸やカムチャツカ半島、千島列島などから越冬のために渡ってくる。

オオワシとオジロワシは、日本に生息する鳥類の中で、最も大きな体をしている。しかもオスよりメスの方が、体が大きい。ワシやタカ、フクロウなどを猛禽類というが、哺乳動物やほかの鳥類、魚などを鋭い鉤爪で鷲づかみにして襲い、食べる。オオワシの翼長は最大で2.5メートルと巨大で、鮮やかなオレンジ色のくちばしが特徴だ。オジロワシの翼長は最大で2.4メートルほどで、オオワシより若干小柄といえる。名前の通り、白い尾羽が特徴。両種とも生息地全域で数を減らしていて、オジロワシは2万から4万羽、オオワシは5千羽ほどとみられ、絶滅危惧種に指定されている。

道東の冬を飛翔するたくましい翼

僕は体が大きくて精悍な顔をした猛禽類が好きで、両種のワシも冬が訪れるたびに撮影をしている。撮影地として頻繁に行くのが根室や知床半島の羅臼。北海道の道東は、いろいろな動物に出会えるチャンスが多く、足繁く通っている。撮影は主に真冬の厳冬期なので、十分に暖かい装備で臨む必要がある。指先の保護は最も大切だが、カメラを操作するのであまり厚手のグローブをするわけにもいかず、薄手のグローブの上に、指先の開いたフリースのグローブを使っている。指先の感覚は麻痺寸前となるが、こればかりは仕方がない。極端な寒さは確かにつらいものだが、寒いからこその独特な世界が広がり、野生動物たちのたくましさを目の当たりにすることは、自然の神秘に想いを馳せる貴重な時間だと思う。

 

山から海に向かって飛ぶオオワシ

 

根室海峡をクルーズする船の上や海岸沿いから、三脚に載せた超望遠レンズで狙うことが多いが、それよりもコンパクトな中望遠ズームレンズを手持ちで使うことも多々ある。写真として見応えがあるのは、やはり飛翔する姿だろう。上空にレンズを向け、飛び去るワシを追い、シャッターを切り続ける。たくさん撮っても、うまくいったと納得できるのは、ごくわずかだ。最近は海外から、流氷上に止まるオオワシとオジロワシを見に来る観光客が増え、クルーズ船に乗ると、ほとんどが外国人ということも珍しくない。野生動物が日本の観光産業に大きく貢献している証だ。

15年以上前から、北米でハクトウワシの撮影をしているのだが、オジロワシとは姿形がとてもよく似ている。シャープな印象も共通するもので、大きな違いは頭の色くらいのものだ。みな同じ魚を主食とする海ワシの仲間なのだが、くちばしが大きく顔つきが異なるオオワシは、少々武骨な印象だ。シベリアを行き来するオオワシとオジロワシの主要な越冬地である知床は、陸、海、空を彩る生き物たちの住処として、日本のみならず、極東アジアにおいての重要なエリアとなっている。

 

人と共生して厳しい冬を生き抜く

羅臼近海は、スケトウダラ漁が盛んで、漁船が落とすおこぼれのタラを狙ってワシたちが集まる。シベリアから流れ着く流氷で埋め尽くされる真冬の海では、魚を狩ることができず、昔はアザラシなどの死肉を食べたりしていた。しかし、タラ漁が行われるようになると、漁船が落とすタラを簡単に得ることができるので、そのような習慣が定着した。野生の生き物たちだが、こうした人間の営みに支えられているケースも多い。これもまた共生と言ってよいのかもしれない。

ただ最近は、自然の形態を変えるほど増え過ぎたエゾシカを、ハンターが銃で仕留めて放置し、その死肉を求めて山に行くワシたちが多くなってきた。銃弾には鉛が使われており、その鉛を食べてしまったワシが、中毒で死んでしまうケースが増えた。そのほか、森林伐採によるねぐらとなる場所の減少や、河川、湖沼、海岸の開発による餌となる資源の枯渇が大きな問題となっている。さらには、風力発電施設の風車に激突したり、電線での感電事故、自動車や列車との衝突事故なども憂慮すべき問題となっている。

 

獲物が散乱し、競って食べている

 

野生動物と共生できる世界へ

獲物をキャッチする直前のオジロワシ

獲物を奪い合う2羽のオジロワシ

動物たちとの共生は、一つのことを見るだけでは不十分で、一つのことがほかのことにもつながっていることをしっかりと考えなければならない。日本を代表するワシたちだが、日本のみならず近隣諸国一帯を生息地としているため、各国と連携した保護活動を行う必要がある。この貴重な生き物が絶えることがないよう、国境を越え、力を合わせての取り組みが欠かせない。

文明が現在ほど発展していなかったはるか昔、動物と人間との距離感は程良いものだったのだろう。だが今となっては、活動範囲を広げ続ける人間と、生息環境がどんどん縮小していく動物たちとで、接触する機会が極端に増えている。これから過去のように戻ることは考え難い。だとしたら、いかにして共生していくかを真剣に考えないと、まずは野生動物が姿を消してしまうだろう。野生動物たちが消えた自然が、人々にとって有益な環境であるとは思えない。日本はせっかく素晴らしい自然を有しているのだから、誇りを持って世界にアピールし、自然大国として世界のリーダーシップを取るくらいになりたいものだ。

 

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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[vol.17] 南半球の山岳原野に生きる有袋類「ウォンバット」 /magazine/archives/486?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e5%258d%2597%25e5%258d%258a%25e7%2590%2583%25e3%2581%25ae%25e5%25b1%25b1%25e5%25b2%25b3%25e5%258e%259f%25e9%2587%258e%25e3%2581%25ab%25e7%2594%259f%25e3%2581%258d%25e3%2582%258b%25e6%259c%2589%25e8%25a2%258b%25e9%25a1%259e%25e3%2580%258c%25e3%2582%25a6%25e3%2582%25a9%25e3%2583%25b3%25e3%2583%2590%25e3%2583%2583%25e3%2583%2588 /magazine/archives/486#respond Wed, 07 Feb 2018 07:28:12 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=486 オーストラリアの独特な生き物 南半球に位置し、独特な生き物たちが数多く生息するオーストラリア。本土は乾燥した砂漠気候であるが、南に浮かぶタスマニア島は南極海に面した湿潤な気候で、原始の姿そのままに、手付かずの自然が残され…

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オーストラリアの独特な生き物

森から草原に出て、主食の草を食べる

南半球に位置し、独特な生き物たちが数多く生息するオーストラリア。本土は乾燥した砂漠気候であるが、南に浮かぶタスマニア島は南極海に面した湿潤な気候で、原始の姿そのままに、手付かずの自然が残されている。南半球は季節の移り変わりが日本と逆なので、僕が訪れた12月は初夏となる。

20代の初めに自然の中でのトレッキングが好きになり、その時に、いつかはタスマニア島を訪れてみたいと思っていた。あれから20年以上が経ち、ようやく踏むこととなった憧れの土地である。都市部はそれなりに栄えているものの、ほんの少し郊外に出れば、すぐに牧場や畑の広がる牧歌的な風景へと様変わりする。この島は本土に比べ、ハリモグラやカモノハシ、タスマニアデビルといった、より一層風変わりな生き物たちがすんでいる。

ウォンバットは、ヒメウォンバット、ミナミケバナウォンバット、キタケバナウォンバットの三亜種があり、タスマニア島にいるのはヒメウォンバットである。体長は種によって異なるが、70〜115センチメートル程度。体毛は粗く、黒色から褐色、灰色までと毛色もさまざまで、小さな目に比べ鼻は大きく、耳は短くて丸い。まるでぬいぐるみのようなずんぐりした体形で、愛らしいとぼけた表情が最大の持ち味だろう。カンガルーなどと同じ有袋類であり、大きく複雑に入り組んだ巣穴を地中に掘るため、短くて強力な四肢と長くて頑丈な爪を持っている独特な生き物だ。

ウォンバットのすむ山岳地帯の原野は国立公園に指定され、大きな開発もされずに現在に至っている。動物たちとの出会いを求め、朝早くから起伏の激しい原野を歩いてみる。カンガルーを小さくしたようなワラビーが、時々跳びはねながら目の前を通り過ぎていく。草原のかなたへ目を凝らすと、丸い塊がもぞもぞと動いているのを発見した。ウォンバットが草を食べているのだ。

見た目に似合わぬ俊足

森の中で穴を掘って巣を作る

夜行性のウォンバットは、日没後から活発に活動するのだが、昼間に歩き回る姿もよく見かける。オスとメスはほぼ同じ大きさで、視力は弱いが嗅覚と聴覚は優れている。主食となるのは栄養価が低い、硬くて繊維の多いイネ科の草なのだが、ウォンバットの歯は硬い繊維を砕くのに適している。食べる量は体の大きさの割にほかの有袋類に比べてそれほど多くないのだが、食物が消化器官の中を通過する時間がとても長く、結腸の中での微生物による繊維の発酵作用も、栄養価の低い食物で生きてゆくのを助けている。

草食で見た目も可愛らしいので、僕の方も気兼ねなく寄っていってしまうのだが、意外と、と言うか当然ではあるのだが、警戒心は強い。不用意に近付くと、はたと草を食むのをやめて顔を上げ、ドタドタと逃げていってしまう。そのスピードたるや、姿形からは想像がつかないほど速く、でこぼこの原野のせいもあり、僕が走ってもまず追い付けない。短い距離なら時速40キロで走れるほどの俊足だ。そうかと思えば、カメラを構える僕に向かって、ウォンバットの方から近付いてきて、僕に体を擦り付けながら脇を通っていったりもする。視力が弱いからだけではなく、気まぐれな性格なのかもしれない。

近付く時はやはりほかの動物たちと同じように、ゆっくりと驚かさないよう気を使わなければいけない。鼻の大きいとぼけ顔も、よくよく見てみると野生の厳しさのようなものが垣間見え、仲間同士で小競り合いをしたり、縄張りに侵入した別の個体を猛烈に追い払ったりする。人を襲うことはまずないが、それでも一生伸び続けるとがった門歯と鋭い爪を持っているので、用心が必要だ。

母親のおなかの袋から顔を出す子ども

母親の育児嚢から顔を出す子ども

本土の種は出産の時期があるようだが、この島の種は特に決まっておらず、いつでも産むようだ。子どもは母親の育児嚢で育ち、6〜7カ月を過ぎると袋から出たり入ったりするようになる。母親はおなかの袋に子どもを入れて移動するのだが、お尻に後ろ向きに穴が開いているため、メスの歩く後ろ姿を見ると、お尻から子どもが顔を出していることもある。そんなところもとてもユーモラスだ。

彼らを追いかけるには身軽さが必要なので、機材はカメラボディー2台で、中望遠ズーム、標準ズーム、広角ズームの3本のレンズを付け替えながら近付いていく。雨がよく降る地域で、湿潤な気候のせいなのか、原野にはヒルがかなり多い。長靴を履いているのだが、気が付くと靴下の中に入り込み、食い付かれている。腹ばいになって撮ったりもするので、油断をすると途端にやられてしまう。フィールドでは、こうしたヒルやダニや蚊やアリなどが、一番厄介な存在だ。

アボリジニの言葉で〝平たい鼻〞

鬱蒼とした藪から出てきた

巣穴に入ったウォンバットを見つけたので、しばらく様子を見ていると、辺りをうかがうのか、たまに顔をのぞかせていた。そして僕がいるのに気付くと、お尻を向けて入り口にふたをしてしまった。ウォンバットのお尻はとても皮膚が厚く、けんかの時は攻撃されてもびくともしないお尻を相手に向け、後ろ足で蹴るのだという。足も速いから、蹴る力も相当なものかもしれない。

ウォンバットという名前は、先住民族のアボリジニの言葉で、平たい鼻という意味。昨日は平たい鼻を3頭も捕ったよ、とか話をしていたのだろう。以前は作物を荒らす害獣として駆除されることもあったのだが、現在は大切に保護されている。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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[vol.16] 凍てつく冬を乗り越える小さな命「エゾナキウサギ」 /magazine/archives/474?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e5%2587%258d%25e3%2581%25a6%25e3%2581%25a4%25e3%2581%258f%25e5%2586%25ac%25e3%2582%2592%25e4%25b9%2597%25e3%2582%258a%25e8%25b6%258a%25e3%2581%2588%25e3%2582%258b%25e5%25b0%258f%25e3%2581%2595%25e3%2581%25aa%25e5%2591%25bd%25e3%2580%258c%25e3%2582%25a8%25e3%2582%25be%25e3%2583%258a%25e3%2582%25ad%25e3%2582%25a6%25e3%2582%25b5 /magazine/archives/474#respond Thu, 07 Dec 2017 07:19:37 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=474 丸く小さな体に秘めた氷河期を生き抜く力 氷河期の生き残りと言われる生き物がいる。日本では北海道の高地だけにすむエゾナキウサギだ。3属4種のウサギが日本には生息しており、ノウサギ属のニホンノウサギとエゾユキウサギ、アマミノ…

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丸く小さな体に秘めた氷河期を生き抜く力

好物のイワブクロをくわえる

氷河期の生き残りと言われる生き物がいる。日本では北海道の高地だけにすむエゾナキウサギだ。3属4種のウサギが日本には生息しており、ノウサギ属のニホンノウサギとエゾユキウサギ、アマミノクロウサギ属のアマミノクロウサギ、そしてナキウサギ属のエゾナキウサギだ。エゾナキウサギは、ニホンノウサギやエゾユキウサギといった、いかにもウサギらしいウサギとは少々異なる姿形をしている。耳は短く、四肢もまた短い。一見ネズミのように見えるが名前が示す通りれっきとしたウサギの仲間で、黒々としたつぶらな瞳や、植物を食べるまん丸な姿はとても可愛らしい。

しかし、その小さな体の中には、凍てつく冬を乗り越える、強靭な生命力を秘めている。マンモスのような巨大な動物が絶滅してしまった氷河期だが、どうしてこんなに小さくて可愛らしい動物が生き延びることができたのだろう。エゾナキウサギは見た目では判断できない、複雑な生命の仕組みを解き明かしてくれるのかもしれない。

冷涼な山頂の岩の隙間で暮らす

秋の終わり、冠雪した美瑛岳を望む

いったいどんな生き物なのかを知りたくて、僕はある年の秋に北海道を訪れた。北海道の中央部には標高2291メートルの旭岳を頂点とし、山々の連なる大雪山系が広がる。山上には岩が積み重なったガレ場と呼ばれる場所があり、崩壊した崖、溶岩流、氷河が削って運んだ堆石などによって形成される。ガレ場は、冷涼な土地でしか生きられないエゾナキウサギの貴重なすみかとなっている。標高1000メートルほどの中腹にあるガレ場には、北の国や高山でよく嗅ぐ植物の甘い香りが漂っている。

辺りで耳を澄ますと、キチーキチー、ピュルルルッ、という金属音のような鳴き声が聞こえてくる。エゾナキウサギの声だ。初めはどこにいるのか姿が見えなかったが、しばらくして岩の隙間から顔を出しているのを見つけることができた。人の手のひらに乗るほど小さいので、慣れないうちは見つけにくいのだが、目を凝らして辺りを見ているうちに、次第に見つけるのが上手になってくる。

この地域は冬になると10メートルくらいの雪が積もる。冬眠をしないエゾナキウサギは春から秋にかけて、ガレ場の隙間からひょこっと現れては、エゾリンドウやイワブクロ、ゴゼンタチバナといった高山植物の葉や茎や花をかじったり、それらをせっせと集めて巣穴に持ち帰り、長い冬ごもりの保存食にしたりする。時に、岩の上でジッとたたずみ、まるで考え事にふけっているかのような振る舞いをすることもある。それは日光浴か、もしくは捕食者や侵入者を警戒する行動である。

雄大な景色に響く鳴き声

金属音のような鳴き声を上げる

可愛らしいので、ついアップで撮ってしまうのだが、そればかりだと飽きてしまうし、作品の広がりもなくなる。それにこの生息地の景観が素晴らしいので、この景色を写さないのは非常にもったいない。そこで思い切ってエゾナキウサギをギリギリまで小さく、できるだけ景色を大きく入れるようにフレーミングしてみる。エゾナキウサギをカメラで追いかけるのではなく、あらかじめ現れる場所を想定し、カメラをセットしておくのだ。もちろんエゾナキウサギがどこに出てくるかはわからないが、時間をかけて観察していると、時々同じ場所に現れることに気付く。そのような場所を見つけて、構図を決める。カメラをセットしたら、あとはエゾナキウサギが現れるのを待つだけだ。雄大な景色の中に身を置き、期待と不安を抱きながら待つ時間は、なかなか濃厚だ。そして突然エゾナキウサギは現れ、僕は瞬時にレリーズを切る。

活発に動き回るのは朝夕で、日中は岩の隙間でのんびりしていることが多いようだ。雨や風の強い日は、あまり姿を現さない。天敵は主にイタチ科のオコジョやイイズナで、岩の隙間にまで入り込んで追いかけてくるが、隙間は狭く、複雑に入り組んでいるために、多くの場合は逃げ切ることができる。

名前の由来にもなっているようによく鳴くのだが、それは主にコミュニケーションのためと考えられている。危険な状況で声を上げても、ほかの個体が逃げないことから、警戒のために鳴いているわけではなさそうだ。大きかったり、か細かったりするのだが、その声はよく通り、ガレ場に響き渡る。

気温の上昇によりおびやかされるすみか

冷えた朝方、日光を浴びて温まる

時々岩の上でたたずむ

僕自身、エゾナキウサギのどこに魅力を感じるのだろうと考えてみると、可愛らしい見た目でありながら、この過酷な環境のなかでたくましく生きる姿のギャップに引かれる部分が大きい。エゾナキウサギを通し、自然の神秘を目の当たりにするのだ。気候変動で気温が上昇すれば、エゾナキウサギの生息地がさらに狭められることは確実である。現在でさえ、北海道のわずかな高地にしか生息していないのだから、この先の未来は安泰とは言えないだろう。絶滅の危機に瀕している生き物の象徴として、ホッキョクグマが世界的に取り上げられている。しかしエゾナキウサギもまた同様に危機に瀕しているのだ。この貴重な氷河期の生き残りが、これからも生存できるよう、そして僕たちと共生できるよう、行動し続けなければならない。

山の上は気温が低く風も冷たいが、秋晴れの日差しは心地良い。ボサボサだった夏毛から、ふっくらとした冬毛へと変わりつつあるエゾナキウサギ。もうしばらくすると雪がちらつき始める。そして何カ月にもわたる極寒の冬を、蓄えた植物を食べながら、暖かな雪の下で過ごすのだ。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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[vol.15] 自然の中で生きる在来馬「御崎馬」 /magazine/archives/471?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e8%2587%25aa%25e7%2584%25b6%25e3%2581%25ae%25e4%25b8%25ad%25e3%2581%25a7%25e7%2594%259f%25e3%2581%258d%25e3%2582%258b%25e5%259c%25a8%25e6%259d%25a5%25e9%25a6%25ac%25e3%2580%258c%25e5%25be%25a1%25e5%25b4%258e%25e9%25a6%25ac%25e3%2580%258d /magazine/archives/471#respond Sat, 07 Oct 2017 07:09:49 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=471 武士を乗せて駆けた馬の子孫たち 丸いおわんのような丘がいくつも連なり、南からの黒潮が断崖に打ち寄せる宮崎県の都井岬。一年を通じて湿潤で温暖な気候である。見晴らしも素晴らしく、360度ぐるりと見渡せ、地球の丸みを感じること…

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武士を乗せて駆けた馬の子孫たち

斜面の下から撮影する僕を見に集まる

丸いおわんのような丘がいくつも連なり、南からの黒潮が断崖に打ち寄せる宮崎県の都井岬。一年を通じて湿潤で温暖な気候である。見晴らしも素晴らしく、360度ぐるりと見渡せ、地球の丸みを感じることができる。ここには御崎馬と呼ばれる馬が生きている。

雪が降らず、草の絶えない放牧に適したこの地に江戸時代から放たれ、日本古来の血をつないでいる在来馬だ。日本の在来馬の祖先は、モウコノウマといわれている。モンゴル高原から中国、朝鮮半島を経て渡ってきた馬は、武士が乗るための馬として育てられた。その子孫である御崎馬の体は、脚は細めだが、環境に合わせて強くしなやかに発達している。人間なら息が切れるほどの都井岬の急斜面を、タテガミをなびかせ、ものともせずに駆け巡っている。毛色は馬によってわずかに異なる。茶褐色の鹿毛、黒みがかった黒鹿毛、淡い黄褐色や亜麻色の河原毛が多い。首から背中にかけてのラインが水平で、背筋に浮かぶ色の濃い線は鰻線と呼ばれ、御崎馬がモウコノウマを祖先に持つ古い種である証拠だ。

生き生きと走り母に甘える子馬

今日も一日、丘を移動しながら草を食む

早春の丘の上に、昨日生まれたばかりの子馬の姿があった。穏やかな日差しの中、母馬と一緒で安心し切ったようにまどろんでいる。親子は片時も離れず、生まれた喜びを全身で表すように、子馬は母馬にまとわりついて甘えている。初めて子を産む牝馬は出産の3週間くらい前から岬に仕切られた出産場所に連れて行かれ、出産後、2、3週間ほどしてから群れへ返される。一年中野放しにされているような御崎馬だが、その暮らしは多くの人々に支えられているのだ。日本には純粋な野生馬はいないので、御崎馬は半野生馬といったところだろう。春から夏にかけて、15〜20頭前後の子馬が生まれ、ほぼ同じ数の馬が病気や老衰で死んでいくので、馬はおおよそ120頭ほどに保たれている。

生まれたばかりなのに、子馬はすぐに丘の上を走り回る。おぼつかない足取りだが、走ることが楽しくて仕方がないようだ。でもすぐに疲れて横になり、満ち足りた表情で昼寝を始めてしまう。子馬は一日のうちに何度も昼寝をし、長い時には1時間くらい眠る。母馬は、眠る子馬をじっと見守る時もあれば、草を食べるのに夢中で、子馬から離れてしまう時もある。目覚めた子馬は、姿の見えない母馬を探して不安そうにいななき、その声を耳にした母馬は、すぐに子馬のもとへ駆け寄り、慈しむように鼻先でなでてやる。

僕が馬に引かれるのは、生き物としてのユニークさもあるが、一番印象的なのはその瞳の優しさだ。馬ほど優しい瞳を持った動物をほかには知らない。発情期のオスはかなり荒々しいが、その他の季節や、メスや子馬は、穏やかな優しさに満ちていて、そばにいるだけで気持ちが和む。

一面の緑の丘で熱心に芝を食む

子馬が眠るそばを母馬は離れない

夏を迎え、照り付ける太陽の光が勢いを増し、気温はグングンと上昇する。この丘では、1月末から2月初旬に、冬の芝や馬の食べない草を焼いてダニなどの害虫を駆除し、新しい芝の発芽を促すため、野焼きが行われる。その効果は初夏になると見事に表れ、冬枯れていた芝は活気付き、岬は一面の緑に覆われる。

草いきれの中、急な斜面を一歩登るたび、額からぽたぽたと汗が落ちてくる。頂上まで登ってみると、父馬、母馬、子馬の3頭が並んで立っていた。子馬もだいぶ成長したようだ。青々とした芝は相当おいしいらしい。ザッ、ザッという気持ちのよい音を響かせ、夢中になって前歯の切歯で芝をむしり取り、ざくざくもぐもぐとあごを動かし続ける。あまりに熱心なその姿は、自分も一緒に芝を食べてみたくなるほどだ。海岸から丘の頂上まで標高差のある広い岬を、馬たちは少しずつ移動しながら、一日中食べては休み、休んでは食べ続ける。

群れの中でも存在感が出てきた春生まれの子馬。この険しい丘ですくすくと育ち、生まれて半年経った今では、体付きもしっかりとしてきた。母馬から離れて行動することも多くなったが、まだまだ母馬に頼って生きている。子馬が独り立ちするのは、1歳から2歳になってからだ。

人の手で守られ暮らす半野生馬

急峻な地形を物ともしない強靭な足腰

タテガミをなびかせ丘を駆け巡る

初夏には年に一度だけ、人々の手で囲いの中に追い込む馬追いが行われる。1歳馬に管理のための焼き印を押したり、寄生虫を駆除する薬を与えたりするのだ。戦後から昭和40年代初めにかけて数を減らし、絶滅が危ぶまれた御崎馬だったが、投薬によって健康状態は良くなり、子馬が死亡するケースも少なくなって、頭数増加につながった。

大正時代の初めに一度だけ、外国の血を引く北海道産の馬「小松号」が、種馬として入れられた。それからというもの、御崎馬には見られなかった栗毛や、額に星と呼ばれる白斑を持つ馬が出るようになった。近年では、在来馬としての純血度を守る取り組みが行われ、馬追いでは、毛根や血液を採ってDNA鑑定を行い親子関係を調べ、家系図を作っている。

多くの人の手によって生き延びている御崎馬の暮らしは、のんびりとしてとても穏やかだ。しかし、都井岬一帯は、桜島や霧島山系などの火山群を有する火の国であり、噴火による火山灰の影響を大きく受ける。それに近年には、馬伝染性貧血ウイルスに感染した馬も現れた。御崎馬に絶滅の心配が尽きることは今もない。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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[vol.14] メスが率いる強い絆「アフリカゾウ」 /magazine/archives/319?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e3%2583%25a1%25e3%2582%25b9%25e3%2581%258c%25e7%258e%2587%25e3%2581%2584%25e3%2582%258b%25e5%25bc%25b7%25e3%2581%2584%25e7%25b5%2586%25e3%2580%258c%25e3%2582%25a2%25e3%2583%2595%25e3%2583%25aa%25e3%2582%25ab%25e3%2582%25be%25e3%2582%25a6%25e3%2580%258d /magazine/archives/319#respond Sat, 26 Aug 2017 03:20:20 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=319 死ぬまで成長しさまざまな経験を蓄積 ゾウは現生する陸上動物の中で最も大きい。2種類いるうちの一つはアジアゾウで、インドやインドネシア、タイ、マレーシア、中国南部などに生息している。これらの地域では荷役動物として人々の生活…

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死ぬまで成長しさまざまな経験を蓄積

群れの先頭を歩くのは長老のメス

ゾウは現生する陸上動物の中で最も大きい。2種類いるうちの一つはアジアゾウで、インドやインドネシア、タイ、マレーシア、中国南部などに生息している。これらの地域では荷役動物として人々の生活にも密着し、絆も深い。もう一つがアフリカゾウ。アフリカ大陸で、サハラ以南の草原や森林といった広範囲に生息している。僕は主にケニアやタンザニアのサバンナでゾウの撮影を行っている。

ゾウは寿命が60年ほどと人間並みに長く、学習能力にも秀でて、記憶力も優れている。死ぬまで成長し続けるため、群れの中で一番大きな個体が最長老ということになる。さまざまな経験を蓄積している長老は、その経験を活かし、家族を安全に導き、仲間に危機が訪れると自ら体を張って守る。オスの体の大きさは、平均で体長6〜7.5メートル、肩高3.3メートル、体重は6トンにもなる。これまで確認された最大の個体は、肩高4メートル、体重は10トンにも達した。現在はその剥製がアメリカのスミソニアン博物館に展示されている。上あごの門歯が伸びたものが牙であるが、この牙もまた一生伸び続けるのだ。大人のメスの牙は平均で片側9キロ、オスだと60キロにもなり、長生きしているオスだと130キロになることもあるという。

嗅覚にも優れ群れの行動を導く長い鼻

キリマンジャロの裾野を歩く群れ

体が大きく、牙の立派なゾウを間近で見ると、そのあまりの迫力に圧倒されてしまう。気性が結構荒いので、個体の様子を見ながら近付かないと危険な場合もある。象牙とともに、ゾウらしさを最も象徴しているのが、その長く伸びた鼻。この鼻は上唇と鼻が伸びたもので、とても器用に動かすことができる。ゾウは首が極端に短いため、頭を動かして食物を得ることが難しく、その代わりに鼻を使って地面から草を引っこ抜いたり、水を吸い上げたり、木の葉や芽、果実をもぎ取ったりする。鼻は鋭い感覚器官として重要な役目も持っていて、嗅覚は、群れの中でのコミュニケーションや、外敵を発見するなど、野生のフィールドで生き延びるために欠かせない感覚である。親子の間では、母親が鼻で子どもを愛撫したり、行動を導いたりするためにも必要なものである。

ゾウの特徴としてもう一つ。それはやはり大きな耳だろう。体が丸くて大きなゾウは、相対的な皮膚面積が小さく、体の中に熱がこもりやすい。薄く表面積の大きな耳には毛細血管が集中していて、この耳から多くの熱を発散させるのだ。いわば車のラジエーターの役割。聴覚も大変優れており、声によるコミュニケーションも盛んである。

食事の量がまた膨大で、大人だと一日150キロもの植物を食べるという。しかしその半分ほどは未消化のまま排泄されるため、植物の種子などを広範囲に広める役にも立っている。必要とする水も大量で、一日70〜90リットルほど。アフリカは雨季と乾季があり、大量の食物や水を求めてゾウは非常に広い行動範囲を必要とする。毎日数十キロ歩くのはざらのようだ。

強い絆で結ばれた家族の歩み

社会生活の営みは最長老のメスをリーダーとし、その娘が数頭とさらにその子どもたちで一家族を形成する。行き先を決めたり、外敵が現れた時に真っ先に立ち向かったりするのがリーダーの役目でもある。家族の絆は深く、例えばリーダーがハンターに銃で撃たれると、群れの仲間が危険を顧みずに助けに来るという。頭の良いゾウのことだ。どういう状況にあるのかを理解しているはずだが、それでも助けようとするのは、我々と共通する何かがあるということではないだろうか。

オスの子どもは10歳を過ぎると性成熟し始めるが、実際に交尾にいたることはなく、15歳頃に群れを離れ、放浪するようになる。
いっときは若いオスだけで集まり行動することもあるが、オスは基本的に単独で行動する。一年周期で訪れるメスの発情期になると、オスは群れを渡り歩いて交尾可能なメスを探す。そのため毎日広範囲を歩き回る必要がある。体の大きいオスは体力があるので長距離を歩くのに向いており、交尾できるチャンスも多くなる。必然的に体の大きな強いオスの遺伝子が継承されるというわけだ。

 

鼻を絡ませコミュニケーションをとる

 

アフリカゾウの赤ちゃんは、さすがに地上最大の動物と言えるもので、誕生時の体重が120キロもある。6歳頃には体重1トンに達し、15歳を過ぎると成長速度が遅くなるものの、その後も成長し続ける。長寿ではあるが生存率はあまり高くなく、15歳までに約半数が死に、30歳まで生き残れるものは5分の1程度である。

美しい牙を目当てに密猟は絶えない

沈む夕日をバックにサバンナを歩く

川に入り鼻で吸い上げて水を飲む

ゾウの生息数は世界的に見て、減少の一途をたどっている。主な要因は象牙目当ての密猟だ。象牙目当ての狩りは紀元前から行われていたが、19世紀末にライフル銃が導入されると、その数は一気に増加した。ある時、カメルーンのジャングルで、ゾウの骨や残骸が散乱する場所に出くわした。大きな頭蓋骨には自動小銃のカラシニコフで撃ち込まれた弾丸の穴が無数に空き、大量のウジ虫が干からびて死んでいた。牙の付け根はチェーンソーで削られている。丸い皿のようなものを拾い上げると、それは剥がれた足の裏だった。GPSなどハイテク機器を駆使した密猟組織は、ピンポイントでゾウの位置を特定し、雑に素早く殺して象牙を切り取り、あっという間に姿を消すという。

野生動物を守る国立公園のレンジャーのオフィスには、押収された象牙が無数に転がっていた。象牙の需要がなくならない限り、このイタチごっこはいつまでも続くことになる。優れた能力をいくつも秘め、古くから人類とも密接に共生してきた類いまれなる地上最大の生き物。ゾウを取り巻く環境は、これから先も予断を許さない状況だ。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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[vol.13] 凛とした気高さ「ニホンカモシカ」 /magazine/archives/328?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e5%2587%259b%25e3%2581%25a8%25e3%2581%2597%25e3%2581%259f%25e6%25b0%2597%25e9%25ab%2598%25e3%2581%2595%25e3%2580%258c%25e3%2583%258b%25e3%2583%259b%25e3%2583%25b3%25e3%2582%25ab%25e3%2583%25a2%25e3%2582%25b7%25e3%2582%25ab%25e3%2580%258d /magazine/archives/328#respond Mon, 26 Jun 2017 07:30:11 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=328 荒々しい岩肌の断崖に守られて 青森県・下北半島の西端。海沿いには荒々しい岩肌の断崖が続き、幾重にも重なる山並みの奥地は、人を寄せ付けない深い自然に満たされ、落葉広葉樹と針葉樹の混合林が広がり、季節が変わるたびに、色とりど…

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荒々しい岩肌の断崖に守られて

今年生まれた子どもを連れて歩く

青森県・下北半島の西端。海沿いには荒々しい岩肌の断崖が続き、幾重にも重なる山並みの奥地は、人を寄せ付けない深い自然に満たされ、落葉広葉樹と針葉樹の混合林が広がり、季節が変わるたびに、色とりどりの景観を見せてくれる。漁業や林業を営む人々が暮らす小さな町が点在するが、アクセスは一本の道しかなく、陸の孤島と呼べるほどだ。生活の場としては、大変な部分が多々あるだろう。しかしだからこそ豊かな自然が広がり、守られてきたともいえる。この地には、北限のサルとして世界的に有名なニホンザルとともに、海沿いから山にかけてをテリトリーとするニホンカモシカが生息している。

ニホンカモシカとの静かな追いかけっこ

海沿いの崖の際で食べ物を探している

ニホンカモシカはその昔、肉と毛皮目当てに乱獲され、絶滅寸前まで追い込まれた。そこで1934年に天然記念物として保護され、さらに1955年には特別天然記念物に指定されて、狩猟対象から外された生き物である。そのため、人が脅威となる体験が希薄なせいか、人間に対しての警戒心がそれほど強くはない。驚かさないようにゆっくりと動けば、かなり近寄ることが可能だ。カモシカはじっとこちらの様子をうかがい、ある程度の距離まで近づくと、すうっと離れていく。警戒心が薄いとはいえ、そこはやはり野生の動物である。こちらが近づいた分だけ、ゆっくりと離れていく。カモシカの撮影は、地道な追いかけっこのようなものだ。

とはいえ、カモシカがよくいる場所は急峻な地形が多く、そういった場所で追いかけるのは容易いものではない。藪の生い茂ったアップダウンのきつい急斜面をついていくのは、とても骨の折れる行動である。冬場であれば、カンジキを履かなければ身体が雪に埋まってしまう。反対に、夏場などは植物が生い茂り、座り込んで食べたものを反芻などしていたら、まるで見つけることができない。カモシカを追うには、春と秋がベストシーズンだ。

気品高い立ち姿と短い角

草を食む親子にそっと近づいていった

間近で見るカモシカの存在感は魅力的である。ふさふさとした灰褐色の冬毛は、顔回りの白や褐色の脚とともに、美しいグラデーションで彩られ、気品の高さすら感じさせるのだが、それに一役買っているのが短い角だ。カモシカの角は洞角と呼ばれ、毎年生え替わるシカなどと異なり、一生伸び続ける。その成長の速度は季節によって変わり、春から秋にかけては成長が速く、冬はほとんど停止する。そのため、角には輪状の跡が残り、その数を数えれば年齢がわかる。目の下にはよく発達した眼下腺があり、甘酸っぱい匂いの粘液を分泌する。テリトリーの中においてその液を、葉や木の枝、岩肌にこすりつけて縄張りを宣言する。基本的には単独で行動しているが、メスが当歳児を連れている場合や、秋の交尾期にはカップルで行動することもある。

子育てはメスだけが行い、オスは全く参加することはない。メスの出産は毎年のようになされるのだが、子どもの生存率は3割程度と低く、夏の暑さや冬の寒さによって死んでしまうケースが多いようだ。運良く成長できた子どもは1歳を過ぎると単独で行動するようになり、性成熟に達する2〜3歳頃までは、母親の縄張り内にとどまっている。オスの子どもはその後、縄張りを追い出されてしまう。メスの場合は、出ていくこともあるが、母親の縄張りを受け継ぐこともある。

カモシカとの共存を目指して

カモシカの個体数は増加しており、それによる食害も取り沙汰されてきた。植林したスギやヒノキの幼木を食べてしまったり、農作物を荒らしたりといったことだ。しかしそれは全国的に見てみれば、ニホンジカなどの食害に比べると微々たるものである。だが地域によっては深刻な状況もあるようで、県によっては個体数管理のために捕獲することもある。

やみくもに捕獲するということではなく、その地域の生息数の維持と自然環境を損なわないことを念頭に、しっかりと計画を立てて定期的なモニタリングをし、管理に取り組んでいる。1999年の鳥獣保護法の改正に伴い、国の一括管理から地方自治体にその主権を移譲され、カモシカとの共存に向けて、これから新たなステージへと向かうことになる。

心通わせる特別な出会い

野生動物と関わっていく日常のなかで、僕が最も好きなのが出会いの瞬間である。これまでさまざまな動物たちとの出会いを経験してきたが、そのなかでもカモシカには特別な感情を抱く。

大きな理由があるわけではないのだが、森の中でひっそりとたたずみ、落ち着いた所作で、凛とした気高さを感じさせるカモシカとばったり出会う瞬間は、いつも感動的なものだ。長い時間をかけて対峙し、無言のコミュニケーションを図る。写真家としてもそうだが、それ以上に同じ地球上の生き物として、自然な振る舞いができるかどうか試されている気もする。カモシカの気分を読み取り、脅威とならぬように呼吸を合わせ、最後にカモシカが自分のそばに座り込んで休んだなら、全てが順調に進んだ証であり、大きな喜びを感じてその場を離れる。

冷え込む晩秋、美しい冬毛に生え替わる

 

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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[vol.12] 密林にすむ森のひと「オランウータン」 /magazine/archives/341?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e5%25af%2586%25e6%259e%2597%25e3%2581%25ab%25e3%2581%2599%25e3%2582%2580%25e6%25a3%25ae%25e3%2581%25ae%25e3%2581%25b2%25e3%2581%25a8%25e3%2580%258c%25e3%2582%25aa%25e3%2583%25a9%25e3%2583%25b3%25e3%2582%25a6%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25bf%25e3%2583%25b3%25e3%2580%258d /magazine/archives/341#respond Wed, 26 Apr 2017 07:54:02 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=341 東南アジアだけにすむ大型類人猿 赤道直下のボルネオ島。眼下には起伏の少ない熱帯多雨林が広がっている。ボルネオ島は、マレーシア・ブルネイ・インドネシアの3カ国が領有しており、僕はジャカルタから国内線に乗って、南側のインドネ…

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東南アジアだけにすむ大型類人猿

1年の大半を樹上で生活する

赤道直下のボルネオ島。眼下には起伏の少ない熱帯多雨林が広がっている。ボルネオ島は、マレーシア・ブルネイ・インドネシアの3カ国が領有しており、僕はジャカルタから国内線に乗って、南側のインドネシアを訪れた。日本と経度差がわずかで時差が1時間なので、時差ボケの心配もない。海外取材では、いかに時差ボケを乗り切るかが、結構重要な課題である。

ボルネオ島を訪れた理由はオランウータンに会うためだ。世界の大型類人猿4種のうち、ゴリラ、チンパンジー、ボノボはアフリカにすみ、唯一オランウータンだけは東南アジアにすむ。そのオランウータンは、スマトラ島にすむスマトラオランウータンと、ボルネオ島にすむボルネオオランウータンの2亜種に分かれている。ジャングルにすむため、枝をつかむことに特化した手足で、生涯の多くを樹上で過ごしている。時々鳥や卵、昆虫などを食べるのだが、基本的にはベジタリアンで、植物や果実を主食としている。

船で川をさかのぼりオランウータンのすむ森へ

母子は仲むつまじく、片時も離れない

ボルネオ島の南部では、豊富な水をたたえた熱帯多雨林から、幾筋もの川の流れがジャワ海へと注いでいる。オランウータンのすむ密林へ行くためには、そのうちの一つの川を、船で半日ほどさかのぼらなければならない。近隣の町でクロトックと呼ばれる屋形船のような船をチャーターし、出航する。ジャングルの中では、このクロトックで寝泊まりし、食事もし、取材を行う。クルーは船をつかさどる船長、コック、手伝いの少年、それに撮影に同行するガイド、そして僕の5名だ。

川幅の広い河口から上流へと向かうにつれ、だんだんと川幅が狭くなってくる。水はタンニンをたっぷりと含んでいるようで、濃い紅茶のような色をしている。川岸を覆うように生える木々の上では、テナガザルや鼻の大きなテングザルが、枝から枝へ飛び移るように移動しながら葉を食べている。

川をさかのぼること数時間、いくつかあるうちの最初のフィールドへと到着した。川岸に船を着け、ジャングルの奥へと歩いていく。甲高い虫の声が鳴り響く森の中を歩くと、大量の汗が滴り落ちる。赤道直下の強烈な日差しは木々に遮られ、気温はさほど高くは感じないが、湿度が100%近いからだろう。

まるで言語を超えたコミュニケーション

頬が張り出したフランジのオス

獣道を森の奥へとしばらく進むうちに、樹上にいるオスのオランウータンを見つけた。フランジと呼ばれる、両頬がグッと張り出した、この周辺をテリトリーとするボスだ。張り出した頬自体をフランジというのだが、単にボスを指す意味にも使う。オスには不思議な習性があり、テリトリーを掌握すると顔の両脇がだんだんと張り出してきて、顔が大きくなる。これはボスになったオスだけに限られる現象で、ボス以外のオスはフランジができない。ホルモンが影響を及ぼしているのだろうが、どのような仕組みでそうなるかはいまだ解明されていない。

フランジのオスに近付くのは気を使う。やたらに攻撃的な生き物ではないのだが、体は大きく、力も強い。さまざまな動物たちと同様、様子をうかがい、僕が敵ではないことを伝えながらの接近となる。当然、エリアが変わればフランジのオスも変わり、それぞれの性格も異なってくる。血気盛んな若いフランジもいれば、穏やかな老年のフランジもいる。それぞれの個性を見極めながら、対峙しなければならない。

ある時、小さな子どもを連れた親子に出会った。警戒心を抱かせぬよう、そっと近付く。メスはオスに比べて体の大きさが半分ほどのイメージで、かなり親しみやすい。母子は3年ほどの授乳期間の後も共に過ごし、7〜10歳くらいになると子どもは独立する。これだけ長く一緒に過ごすのは、野生動物の中では珍しい。やはり同じヒト科の仲間として、人間に近いのだなと感じる。オランウータンは好奇心がとても強く、撮影しているとそばに寄ってきて、服を引っ張ったり、髪の毛を触ったりする。メスはちゅうちょなくそういう行動に出るが、子どもは多少おっかなびっくりといった様子だ。ただ、僕がそのように身を任せるのも、おとなしいメスと子どもだけで、体が大きく力持ちのボスや大人のオスの場合は危ないので、間近に寄ってきたら、静かに逃げるようにしている。

オランウータンと見つめ合うのは、コミュニケーションとしてとても有効である。ニホンザルなどは怒りをあらわにするが、大型類人猿は穏やかに見つめ返してくる。まるで言語を超えた領域で、通じる術があることを教えてくれているようだ。

密林の緑に映える深い緋色の体毛

100年前と比べると、オランウータンはその数を5分の1にまで減らしているという。展示用やペットとして大量に密猟され続けたことや、大規模な森林火災の影響だ。さらには、栽培効率の良いパーム油を得るためのアブラヤシのプランテーションが造成され、ここボルネオ島でも数十年の間で、破滅的な勢いで熱帯多雨林の面積が減っている。熱帯多雨林がなければ、樹上生活者のオランウータンは、自然界で生きてはいけない。ただ近年では、行き過ぎた開拓に歯止めをかけるために、さまざまな保護活動が盛んになってきている。熱帯多雨林はオランウータンだけでなく、ほかの動植物たちや我々人間にとっても、貴重で大切な自然であるのは言うまでもない。

 

上流から下流へ川沿いを移動する母子

 

オランウータンたちは、濃い森の緑に体毛の緋色がとても映え、そして馴染んでいた。人に類する猿。島の人々は愛情と畏敬の念をもって彼らを「森のひと」と呼ぶ。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

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[vol.11] 繊細かつ大胆な造形美「タンチョウ」 /magazine/archives/352?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e7%25b9%258a%25e7%25b4%25b0%25e3%2581%258b%25e3%2581%25a4%25e5%25a4%25a7%25e8%2583%2586%25e3%2581%25aa%25e9%2580%25a0%25e5%25bd%25a2%25e7%25be%258e%25e3%2580%258c%25e3%2582%25bf%25e3%2583%25b3%25e3%2583%2581%25e3%2583%25a7%25e3%2582%25a6%25e3%2580%258d /magazine/archives/352#respond Sun, 26 Feb 2017 11:40:11 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=352 釧路湿原に舞う日本最大級の鳥類 北海道・道東に広がる釧路湿原は、さまざまな動植物たちの宝庫であり、昭和55年に日本で最初のラムサール条約登録湿地に選ばれた。その後に国立公園の指定も受け、現在に至っている。釧路湿原を代表す…

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釧路湿原に舞う日本最大級の鳥類

助走をつけ、群れで飛び立った直後

北海道・道東に広がる釧路湿原は、さまざまな動植物たちの宝庫であり、昭和55年に日本で最初のラムサール条約登録湿地に選ばれた。その後に国立公園の指定も受け、現在に至っている。釧路湿原を代表する生き物といえば、真っ先に頭に浮かぶのがタンチョウである。漢字で書くと「丹頂」となり、赤い天辺という意味であるが、頭頂部の毛のない部分の皮膚が赤いことから、その名が付いた。日本に生息する鳥としては最大級の大きさを誇る。アイヌの人たちが湿原の神と呼ぶタンチョウは、江戸時代には北海道各地に数多くいて、関東地方に渡りもしていたとされる。しかし、明治以降の乱獲や生息地の開発などによって、だんだんと絶滅の危機に瀕していった。

森林伐採で絶滅の危機に保護活動が活発化

採餌場に集まるタンチョウたち

大正時代にわずか十数羽ほど生き残ったタンチョウが、天然記念物となり、その後に特別天然記念物に指定され、国や自治体による保護活動が活発化するようになった。しかし道のりは険しかったようで、生き餌などをまく方法がなかなかうまく定着せず、数の回復は一向に進まなかった。だが戦後になって、畑に残ったトウモロコシを好むことがわかり、各地でそれに倣った給餌活動が行われ、徐々に数が回復するようになっていった。現在では生息数が千羽を超えるなど、順調にその数を増やしているが、絶滅危惧種には変わりなく、生息地がほぼ道東に限られるなど、昔のように広範囲で姿を見られるまでには至っていない。阿寒の鶴居村にある日本野鳥の会が運営している「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」は最も有名かつ保護に貢献している施設であるが、元々は伊藤良孝さんという方が、自分の所有地で昭和41 年頃から給餌を始めた場所である。森林伐採などで保水能力を失った大地は、潤沢な水を湧出することができず、水量の少ない川はいとも簡単に凍ってしまい、タンチョウが冬場に餌を捕ることができる河川が激減してしまった。そのため、冬季の給餌は、現段階においてタンチョウの保護育成には欠かせないとされている。自然の環境では昆虫や小魚、カエル、ザリガニ、貝や植物も食べる。食べ物に関しては幅広い選択肢を持っているといえる。繁殖地は先にも述べたように、主に道東の湿原や湖沼などの水辺となる。早春に交尾が行われ、ヨシなどの枯れ草で作った巣に卵を2個産む。オスメス交代で抱卵をし、約32日間で孵化しヒナが生まれる。生まれてから3カ月を過ぎると幼鳥も飛べるようになり、親鳥と一緒に採餌行動をするようになる。親離れは生まれてから1年ほどだ。

力強い白と黒 頭頂部の赤がポイント

求愛のポーズを取り鳴き合うカップル

冬場のタンチョウを見ていると、2羽のパートナーでよく鳴き合っているのがわかる。どうやらこれは、つがいでの親交を深めるコミュニケーションや、ほかの個体に対する縄張りの主張をしているようだ。実際にタンチョウを目の前にしてみると、非常に個性的で魅力あふれる生き物であることを感じる。ゆったりとした身のこなしや立ち居振る舞いが、どことなく優雅であり、体が大きいので迫力もある。力強いコントラストの白と黒の羽に、頭頂部の赤が絶妙なポイントとなり、繊細でありながら大胆な造形美を見せている。国旗を連想する、いかにも日本的なカラーであることも、我々日本人にとって親しみを寄せる理由ではないだろうか。性格を一概に言うことはできないが、仲間同士の争いなどが割と激しく、穏やかなものとはほど遠い。オジロワシやオオワシなどとケンカすることもあるくらい、血気盛んな面がある。北海道の大空をバックに飛ぶタンチョウの姿は、とても様になっている。道東ならではの光景だが、いつの日か全道に広がってもらいたいものだ。そしてさらなる未来には本州にも。タンチョウはアジア北東部にも生息しており、大陸のものは渡りをする。しかし北海道にすむものは昔の環境とは異なり、冬でも食料を得ることができるため、渡りをせずにその地域にとどまっている。冬は、凍らない川の中がねぐらとなり、群れになって眠っている。僕は氷点下に凍てつく真夜中に、ねぐらの川を訪れてみた。タンチョウたちは川の流れの中で、寄り添うように眠っている。
時々動いているので、熟睡しているというわけではないだろう。体を休めているという表現が近いのかもしれない。月光が染み入るような川面が黄金色に輝き、自然の神秘を垣間見たような瞬間だった。

学名に日本と刻まれた美しい生き物

凍らない川の中がタンチョウのねぐらだ

枯れ葉をくわえて遊んでいるのだろう

タンチョウの人気はすさまじく、日本各地はもちろんのこと、海外からも観光客が押し寄せるほどだ。そしてほとんどの人が、本格的なカメラで写真撮影をしている。環境保護活動の象徴であるばかりでなく、国や自治体、地域の人々にとって重要な観光資源となっている。しかし、生息地の保護や開発を禁止する公園化が広範囲で行われているかというと、現実にはいつ開発が行われてもおかしくない状況にある。個体数が増えたといえども、砂上の楼閣となっては意味がない。これまで心血をそそぎ、タンチョウの保護に尽力してきた人々の労が無駄にならないよう、全道における生息地とそこにかかわる環境の保全が必須であることは明確だ。英名にも学名にも、しっかりと日本と刻まれたこの美しい生き物が、この先も日本の空を舞い続けることができるよう、皆で見守っていきたい。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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[vol.10] 北極海を目指す大群「カリブー」 /magazine/archives/360?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e5%258c%2597%25e6%25a5%25b5%25e6%25b5%25b7%25e3%2582%2592%25e7%259b%25ae%25e6%258c%2587%25e3%2581%2599%25e5%25a4%25a7%25e7%25be%25a4%25e3%2580%258c%25e3%2582%25ab%25e3%2583%25aa%25e3%2583%2596%25e3%2583%25bc%25e3%2580%258d /magazine/archives/360#respond Mon, 26 Dec 2016 11:53:11 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=360 食べ物を求めて北上するカリブーの群れ あらゆるものが凍りつき、雪と氷の世界となるアラスカ北極圏。寒さを避け、わずかな食べ物を求めて南で越冬していたカリブーたちが、遅い春を迎えるとそろって北上を始める。東西に険しく連なるブ…

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食べ物を求めて北上するカリブーの群れ

黄金色のツンドラに溶け込む大群

あらゆるものが凍りつき、雪と氷の世界となるアラスカ北極圏。寒さを避け、わずかな食べ物を求めて南で越冬していたカリブーたちが、遅い春を迎えるとそろって北上を始める。東西に険しく連なるブルックス山脈を越え、北極海へとなだらかに続くノーススロープが目的地だ。ノーススロープは夏になるとツンドラの大地から一斉に若葉が芽吹き、栄養豊かな植物に満たされ、子育てをするカリブーたちの命を支える。カリブーとは和名でトナカイのこと。シカの仲間で唯一、オスメスともに立派な角が生える。メスにも角が生えるのは一説によると、冬の主食となるトナカイゴケを掘り起こすために役立つからだ。数十頭ほどの小さな群れが、移動中にほかの群れと合流を繰り返し、最終的には数万頭の大群になる。そしてそれらを狙うグリズリーやオオカミも、群れの周囲に集まってくる。高い木や藪がなく身を隠すのが難しいツンドラにおいて、集団になることによって、襲われる被害を最小限にする習性と考えられている。

広大なアラスカの原野に一縷の望みをかけて

ブルックス山脈を越えて旅をする

僕はカリブーの大群を一目見てみたいと思い続けていた。しかし、いかに大群といえども、この広大なアラスカの原野では芥子粒にも等しい。可能性は限りなく低かったが、一縷の望みをかけて探してみることにした。

ブルックス山脈の真っただ中に、アナクトブックパスという名のエスキモーの村がある。周辺が、移動するカリブーたちの通り道になっているとの噂を聞きつけた僕は、その村に行けばカリブーが見られるかもしれないと思い、小型のプロペラ機で向かった。しばらくするとそびえ立つ山塊に突入した。ブルックス山脈である。こんなに険しい山の中に、村などあるのだろうかと思っていると、少し開けた山の間に滑走路と40軒ほどの家が見えてきた。小さな村を歩くと、軒先にはカリブーの肉や毛皮が干してある。僕は村の最長老である86歳のローダおばあさんを訪ねて話を聞いてみた。おばあさんはカリブーの脚の腱を乾燥させて作った糸で、カリブーの毛皮を縫いながら語ってくれた。

「私たちは春から秋にかけて獲れたてのカリブーの生肉を食べてきた。余った肉は乾燥させて、冬の間の保存食にした。毛皮を使って暖かな服や布団や敷物を作ってきた。ずっとずっと昔から、私たちはカリブーの恵みに助けられて生きてきたのだ」。

カリブー狩りに行くという3人の若者たちがいたので、一緒に連れて行ってもらった。雪解けでぬかるむツンドラを、アルゴという8輪駆動の乗り物で移動した。カリブーの谷に到着し、キャンプを張って待機していたが、いくら待ってもカリブーは現れなかった。翌日もアルゴで走りながら探すがまるで出会えず、半ば諦めかけた時、遠くを歩くカリブーを発見した。指笛を吹いてカリブーを振り向かせ、その瞬間に見事に仕留めた。カリブーは手際よくその場で解体され、皆に分けられる。太古の昔から続いてきた営みの一部始終を、僕は目の前にしていた。

数頭のカリブーを見ることができたが、大群にはほど遠い。僕はカリブーたちの旅の目的地であるノーススロープへと向かうことにした。とてつもなく広いノーススロープでカリブーを見つけるのは、陸路では不可能。そもそも道など一本もない。そこで2人乗りの小さな飛行機を使い、毎日空から探すことにした。山間の谷沿いには、上空から見ると無数の足跡が刻まれている。有史以前から、カリブーの群れがブルックス山脈を越えて旅をしてきた印である。でも、この足跡がついさっき通ったものなのか、それとも50年前のものなのか、まるで見分けがつかない。ツンドラでは、一度足跡が刻まれるとほとんど消えることがない。数十年前に資源採掘のために走っていたトラックの轍も、くっきりと残っている。

何度目かの飛行で、とうとうカリブーを見つけた。やはりノーススロープにやって来ていたのだ。しかし群れは小さく、大群と呼ぶにはほど遠い。僕はさらに広い範囲を飛んでみることにした。すると、あちこちで小さな群れを発見した。生まれたての子どもも数多くいる。この小さな群れが合流を繰り返し、次第に巨大な群れとなって北へ移動するのだ。

カリブーを狙うエスキモーの若者

数頭が合流を繰り返し大群になる

黄金色に輝くカリブーたち

夕暮れ迫るなかを北へ歩く

巨大なオオカミの足跡を見つけた

7月になり、ノーススロープは一面の緑に覆われた。雪は溶け、小さな花々が咲き乱れ、北極圏に短い夏がやってきた。いったん日本に帰っていた僕は、一月ぶりにこの地に戻ってきた。果たしてカリブーは大群になっているのだろうか。群れを目撃したというパイロットの無線が入った。今度こそという思いを抱き、僕は急いで目撃地点まで飛んでいった。すると待ち望んでいた光景が、徐々に目の前に広がってきた。
「すごい、すごい!」カリブーの大群だ。カリブーたちは極北の斜光線を浴びて、地面に溶け込むような黄金色に輝いている。ある群れは移動し、ある群れは川を渡り、またある群れは草を食んでいる。僕は窓から身を乗り出して、夢中でシャッターを切った。強風でカメラがブルブルと震え、飛ばされそうになった。ようやく出会えた大群に、僕の心も震えた。群れを辿って飛び続けるうちに、飛行機はいつしか北極海上空にまで達していた。もうこれ以上は北へ進むことはできない。地球のてっぺんが、カリブーたちの終着点だ。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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[vol.9] 粗削りな魅力は自然そのもの「ニホンイノシシ」 /magazine/archives/369?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=%25e7%25b2%2597%25e5%2589%258a%25e3%2582%258a%25e3%2581%25aa%25e9%25ad%2585%25e5%258a%259b%25e3%2581%25af%25e8%2587%25aa%25e7%2584%25b6%25e3%2581%259d%25e3%2581%25ae%25e3%2582%2582%25e3%2581%25ae%25e3%2580%258c%25e3%2583%258b%25e3%2583%259b%25e3%2583%25b3%25e3%2582%25a4%25e3%2583%258e%25e3%2582%25b7%25e3%2582%25b7%25e3%2580%258d /magazine/archives/369#respond Wed, 26 Oct 2016 12:06:06 +0000 http://www.sanyo-chemical.co.jp/magazine/?p=369 六甲山地のイノシシ 春は子育ての季節 しっとりとした濃い靄が辺り一帯に立ち込めるなか、東から朝の光が差し始め、幾重にも連なる山々が静かに起き始めた。兵庫県を東西に横断する六甲山地は、大阪湾を通過する南風が多量の水分を含み…

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六甲山地のイノシシ 春は子育ての季節

日だまりでそろって昼寝をする親子

しっとりとした濃い靄が辺り一帯に立ち込めるなか、東から朝の光が差し始め、幾重にも連なる山々が静かに起き始めた。兵庫県を東西に横断する六甲山地は、大阪湾を通過する南風が多量の水分を含み、年間を通して湿潤な気候である。この山々には昔から、数多くのイノシシが生息しているという話を聞いていて、一度訪れてみたいと思っていた。初めて六甲山に入ったのが2004年。それ以来たびたび訪れている。もともとは昭和の中頃、ある大学の研究チームが餌付けして観察をし始めたことがきっかけとなり、よく目にすることのできる地域となった。5月から6月にかけてはウリ坊と呼ばれる子どもたちも生まれ、山はにぎやかになる。イノシシは多産で、多い時は10頭ほどの赤ん坊を産む。経験上、このフィールドではあまり朝早くから活動せず、だいぶ日が高くなってから姿を現すことが日常となっている。

愛嬌のあるウリ坊も生き残るために必死

縄張りを巡って激しく争うオスの成獣

野性味満点の大人のイノシシも魅力的だが、ウリ坊のかわいらしさは特筆に値する。いつも笑っているような見た目も愛らしいのだが、何といっても愛嬌のある性格が素晴らしい。木の葉や枝をくわえたり、互いの背中に乗っかったりして遊ぶウリ坊たちのじゃれ合う姿を見ていると、自然と気持ちが和む。ウリ坊たちは母イノシシに連れられ、まとわり付いて、甘えてお乳をねだるのだが、母イノシシは機嫌が悪いと、じゃれついてくる子どもたちを蹴散らしてしまう。子どもたちが見つけた食べ物でも、すっ飛んできて鼻面ではねのけ、真っ先に自分が食べてしまったりする。そのあたりの過激な性格は、ほかの動物ではあまり見たことがなく、かなり驚いてしまった。しかし、機嫌の良い母イノシシがごろんと横になっておなかを出すと、ウリ坊たちは我先にと乳首に吸い付いて、母の気が変わらないうちに飲めるだけ飲んでしまおうと、小さな口をぎゅっとつぼめ、全身の力を使って吸い出すようにお乳を飲む。必死に生きる姿は、子どもだからこそ余計に強く訴えかけてくる。

体形に似合わぬ素早さ 激しい縄張り争いも

山の中腹にある池のほとりで食べ物を物色

イノシシの最大の特徴は、やはりその長くて大きな鼻だろう。まばらに毛の生えた鼻をセンサーのごとく、いつもピクピクさせている。土中のミミズや木の根を上手に探し当て、この鼻をスコップのように使って掘り出す。
鼻を中心にしてつくられた体と言ってもよいだろう。ウリ模様の施された体毛は、赤ん坊とは思えぬほどゴワゴワしており、大人になるにつれどんどん硬く、鋼の鎧をまとうかのように変化してゆく。成獣同士の縄張り争いもなかなか激しく、下あごの犬歯がぐっと伸びた牙を武器に突進して噛み付くなど、どちらかが逃げ出すまで行われる。短足でずんぐりとした体形をしているが、川や泥沼をさっそうと駆け抜け、急な斜面であっても蹄を蹴り込んでグングン登るほど力強い。山中の至る所で蹄の跡を見るので、木に登る以外はどんな場所にでも出没するようだ。山道の脇や斜面、藪の中でよく見かける耕されたような地面は、食べ物を探して鼻面で掘り返した跡だ。イノシシは硬い葉などは消化できないので、新芽や新葉、どんぐりやヤマイモ、ミミズや昆虫などを好んで食べている。
ある時、川沿いの泥の中で、ゴロゴロとのたうち回るイノシシがいた。何をしているのだろうと観察していて気が付いた。よくいわれる「ヌタ打ち」と呼ばれる行動で、体を冷やしたり、ダニや寄生虫を取ったり、匂い付けをして、自分の存在をほかのイノシシにアピールするのに役立っている。イノシシを追いかけて藪の中を駆けずり回っている僕も、あちこちダニに食い付かれてしまった。引き締まった胴体を持つイノシシは、豚の祖先でもあり、その肉はとてもおいしい。日本人は何百年もの昔から、山の鯨と呼んで、イノシシを食べてきた。

厳しい環境で生き抜く家族の穏やかなひと時

岩陰で子どもたちにお乳を与える母親

じゃれ合い、力比べをするウリ坊たち

日本には大型の肉食獣は生息せず、地味な印象の動物がほとんどだ。イノシシもそんな動物といえるが、イノシシの場合はさらに、畑の農作物を荒らす害獣であり、猪突猛進する危険な生き物だと大抵の人は思うだろう。温暖化で雪が減り、生息地域を北上させている厄介な生き物とされている。僕自身、尻やふくらはぎを何度か噛まれている。子育てはかなりスパルタで、子どもが見つけた食べ物を母親が横取りし、さんざんせがまないと授乳はせず、気に入らないと鼻面で子どもを突き飛ばす。
ウリ坊たちはそれでも、唯一の頼みの綱である母を懸命に慕う。かなりの多産ではあるが、スパルタゆえに弱った子は置き去りにされ、秋頃には2、3頭にまで減ってしまう。しかし、もし、子どもがすべて順調に育ってしまったら、この山の生態系や植生が大きく変わり、食物も枯渇してしまうだろう。慈しむように子を育てるクマなどとは対照的だが、それぞれがその環境で生き抜くために身につけたやり方であり、まさに自然である。そんなイノシシだが、接するほどに、味わい深い粗削りな魅力に引き込まれていく。何度か顔を合わせた人間の顔を覚える能力もある。ウリ坊の愛くるしさは抜群だし、成獣の野獣らしさも一級品だ。非情に見える母親だが、たまには子どもの体を鼻面でグルーミングしたりもする。弱肉強食のファミリーに訪れる数少ない平和なひとときは、穏やかな空気に満たされている。

文・写真=動物写真家 前川 貴行〈まえかわ たかゆき〉

1969年東京都生まれ。和光高等学校卒業。

エンジニアとしてコンピュータ関連会社に勤務した後、独学で写真を始める。1997年から動物写真家・田中光常氏の助手を務め、2000年からフリーでの活動を開始。世界を舞台に、野生動物の生きる姿をテーマに撮影に取り組み、雑誌、写真集、写真展などで作品を発表している。2008年日本写真協会賞新人賞受賞、2013年第1回日経ナショナル ジオグラフィック写真賞グランプリ受賞。公益社団法人日本写真家協会会員。主な著書に『動物写真家という仕事』など。

 

 

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